思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

言葉のエッセンス

好きだという気持ちは、先人たちが残した数多の表現で言い尽くされてきた。
 
「月が綺麗ですね」
「君を夏の日にたとえようか」
「話したいことよりも何よりもただ逢うために逢いたい」
 
文豪でなくともフランス人は、愛しい恋人のことを「chou(x)(キャベツ)」と表現するらしい。シュークリームの皮、あれ。
 
私にもそういうクリエイティビティがほしい。たしかに芽キャベツとかかわいいもんね。
 
歯の浮くような言葉を口にする自信がないのなら、別の方法はいくらでもある。言葉だけじゃなく、フラッシュモブとか、その他諸々のサプライズとか。
 
高価なプレゼントをあげるのもいいが、何よりも、たくさんの時間を一緒に過ごすだけでも十分なのかもしれない。
 
それでもやはり愛の言葉が目に見える行動を伴いやすいのは、男女の関係という諸刃の剣をできる限り強化するために、先人たちが並並ならぬ努力を重ねてきたからに違いない。
 
ところがここに「親愛なる」という意味を付け加えようとした途端、伝え方が一気に難しくなるから不思議だ。
 
最近は仲のいい人とサヨナラする場面も立て続けに勃発していたので、その言葉をひっきりなしに模索しているが、どうにもいい表現が見つからない。
 
 
 
昔から仲良くしていた友達が遠くへ留学に行くというので、この間、それを見送りに行った。はなむけの言葉はたくさん考えていたはずなのに、私は彼女に向かって「お元気で!」とだけ言った。
 
あれほどまでに、自分の足りない語彙を呪ったことはない。
 
「元気で、体調に気をつけて、一事が万事に陥るのではなく、住んだまなこで広い世界を見、自分の血肉に変えてきてください」と伝えたかった。
 
「お元気で!」って、いやあなた。
 
 
 
激励の言葉もそうだが、感謝と賞賛の言葉なんかは特に、連ねれば連ねるほど嘘らしくなってしまう。
 
けれど同時に、ただ「ありがとう」「おめでとう」と伝えるだけでは言葉が足りないような気すらしてくる。
 
その絶妙な塩梅を攻める最適な言葉をずっと探しているけれど、結局のところ、どうにも手垢に塗れた表現に終始してしまう。
 
文章にすれば推敲のチャンスが与えられるが、顔を合わせている時、どうすればその気持ちが100%の力でもって相手に伝わるのか、今でもまだわからない。
 
言葉の強さに頼らずして、この気持ちを相手に伝える術を、私はまだ知らない。
 
あらゆる言葉でもって好きだという気持ちを表明してきた歴代の文豪やフランス人たち、私に叡智をお与えください。親愛なる彼らへ送る、餞の言葉のエッセンスを。
 
今日こそきっと、最後のチャンスだと思うから。