思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

幸せ談義

つい先日色々あって、「自分にとって幸せってどういう状態を指すんだろう?」と考えることがあった。
 
就活に際して何度となくこの問いを繰り返されたので、私としても自分自身の回答例を持っているはずだった。が、しばらく期間が空くとこんな大事な質問の答えですらすぐに忘れてしまう。
 
仕事のモチベーションに直結する話題のはずが、その場しのぎの上っ面な答えにとどまっていたことを恥じた。ニワトリには失礼だけれど、この忘れっぽさはまるでニワトリのようだと思う。
 
 
 
我が身を振り返る機会に直面し、改めてこの質問を考えてみた。どういう状態なら幸せなのか?とか、何を持っていれば幸せなのか?とか。
 
金欠貧乏大学生として帰省の新幹線にこだま号を選んでいたので、乗車時間はおよそ3時間半。どれだけ考えても時間が足りないことはない。
 
しばらく考えるうち、就活の中で答えていたそれっぽい(けれど本当の答え)を思い出すと同時に、今の自分に置き換えた時のプラスアルファの答えまでたどり着いた。
 
あまりに真剣な話で誰彼構わず話すようなことでもないから、そっと自分の記憶にとどめておくことにする。本当に仲のいい人と、そういう機会があれば話せるくらいにわかっていれば十分だと思う。
 
と、思うと同時に、「幸せ」なんて大げさな言葉を使うから、こういう類の話はアツい飲み会でしか許されていないような雰囲気があるんじゃないかと思ったり。
 
自分が満たされる瞬間とか、楽しいと思える瞬間とか、ただ「私はこういう時間が大好き!」と言えたらいいのに、と思う。
 
「好き」よりも「愛してる」の方が重たい意味にとらわれがちなのと一緒で、「幸せ」というのもあまりにたくさんの意味を持ちすぎている。「幸せ」も「愛してる」も、素敵な意味を持っているのにそのウェートのせいで嘘のような響きを持たされるのはかわいそう。
 
いい言葉はたくさん使えばいいのにね、誰も損しないんだから。自分が好きなものなら、もっと素直に言えたらいいのにね。
 
 
 
これは余談だけれど、ご飯を食べている時に「幸せだ」と言う人が多すぎて、「読書が趣味です」の嘘っぽさに近しいものを感じてしまう。
 
本当に言っている人もいるとは思う分、そういうひねくれた思考回路に行き着くと、申し訳ないやら悲しいやらでなんとも言えない気持ちになることが増えた。食事以外の幸せな瞬間もきっとどこかにあると思うよ?