未来志向
普段行かない街に降り立ったとき、「うわーこんな景色だったのかー」とウキウキすることがある。
普段見たことのあるチェーン店の看板でも、普段と違う背景の中に馴染んでいるだけで「すごーい綺麗!」と感動してしまう。
嫌になる程単純な自分だけど、小さなことで感動できるならコスパもいいのかもしれない。
近場のお出かけも然り、外国の街も然り。
最寄りで電車を降りようと立ち上がったら、隣に座っていた女の子が「この駅にはなにがあるんだろう」と呟いた。
私にとっては最寄り駅なので、その近辺はあらかた把握している。美味しいレストランも特にないし、楽しいお店も用意されていない。
私は心の中で「なにもないよ」と答えかけたけど、よく考えたらそれはあくまで私にとっての「なにもない」なのだ。
よく考えれば当然だけれど、私にとっての「なにもない」は、彼女にとっての「なにもない」とは全く違うのかもしれないと思った。
年をとるにつれて時間がだんだん早くなるように、周りの景色の目新しさもなくなっていく。
それを少しでも遅めるために、新しい人に出会ったり、新しい環境に挑戦したり、新しい道具を使ったりするんだと思う。
私のオバアチャンは60代前半からスマホを使い始めたけど、そういう努力は、本当に尊敬する。
仕事を退職してから競馬好きなオジイチャンは、新しい趣味を見つけることで今の若々しさを保っているんだと思う。
そういう人を目の前で見ていると、自分もこうなりたいと思える。ロールモデルがいてくれるのはありがたい。長生きしてね。
電車のあの女の子は、自分が普段見逃していることも、他人の目を通して見ると愉快なものに見えることを教えてくれた。些細なことだけど、人から指導されることと、他人の行動を通じて自分が気づくことの間には大きな差がある。
慣れてしまうというのは、なんともったいない。
私がオバアチャン、オジイチャンくらいの歳になったとき、世の中はどうなっているんだろうと思う。
できることなら、常に真新しいものに囲まれた生活を送っていたい。
出会ったことのないものにときめいて、まだ見ぬ世界に想いを馳せる老人でありたい。
もちろんそれは、認知症とかそういうことではなくてなんだけどね。
常に未来を見つめる大人でありたいなと、心の底からそう思った。