思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

隠さない勇気

そろそろテストの勉強をしないと、と思っているうちに、いくつかの試験を終えてしまったらしい。
 
「テスト勉強?全然やってないよ〜」のやりとりは何度となくしてきたが、裏切られなかった経験はない。
 
運動会で「一緒にゴールしようね!」と言ったあの子の顔が思い浮かぶ。
 
試験の準備は万事を尽くして天命を待つべきだし、運動会は誰よりも精一杯やった人が、誰よりも楽しんだ人だと言っていいと思うはずなのに。
 
準備していない方がカッコいいと思ってしまうあの現象は、一体何歳頃から始まるんだろう。
 
 
 
頑張ってない風なのにめちゃめちゃ勉強ができる人は素直にすごいなあと思うし、「生まれながらにして色々できる」みたいな人は才能に恵まれているんだろうなあと思ったりする。
 
気だるげな表情の人が実はものすごい秀才だったりすると、そのギャップでより好印象を残せるのでコスパがいい。
 
ヤンキーが猫を助けると異常に優しく見える、あの現象。
 
 
 
こういう人たちはおそらく、本人たちが努力『していない』気でいるだけなんだと思う。
自分の中で意図せず行っている努力が実は体系的に実を結んでいて、結果として努力していないように見えているだけなんだと思う。
99%の努力と1%の才能で人は開花するように、彼らもまた、1%の努力と99%の「努力する」という才能で今の力を手に入れているんだと思う。
両親の手厚い教育の結果幼くして努力を学んだ子どもは、きっと、大人になっても強くいられるんだと思う。
 
テレビに出ている人でも身近な人も、どんなに素晴らしく見えたとしても、その人なりの苦悩はあるらしい。
 
あれだけ名声を得てきたアイドルが「自由になりたい」という理由で休止を発表するんだから、身近な人なんてなおさらなのだろう。
 
私たちから見て自由奔放で楽しげな彼らは、きっと楽しそうに見せることが上手だっただけで、実際のところ日々の努力と忍耐で生き残ってきただけだったのかもしれない。
 
彼らもまた、努力が上手な部類なのだ。あるいは、努力を隠すのが上手なだけなのか。
 
 
 
彼氏をゲットするために必死な人を見て、「恋に恋してるよね、あの子」と小馬鹿にしたり、「あの子、意識高いよね」と笑う人がいる。
 
伝え方によるものの、努力は本来隠すものではないし、頑張った理由があるのなら大々的に言ってもいいと思う。
 
隠れてする努力だけがかっこいいとは思わない。
 
周りが気になるのなら、言わせておけ。私は構わん、続けるだけだ。
 
 
 
他人の努力を認められる人でありたいなあと、いつも思う。
 
「遠い未来、どんな人になりたいですか?」と聞かれて、とっさに出たのは「人の長所に目を向けられる人になりたい」という言葉だった。
 
我ながら、間違いないなと思った。とっさに聞かれると、本当に思っていることしか言えないらしい。
 
頑張る人を、馬鹿にしない環境に身を置きたいな。誰を貶めるでもなく、誰もが自尊心を持てる場所に行きたいな。