思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

あこがれ

マフラーを巻くのがすごく苦手で、いつも髪の毛がボサボサになってしまう。
 
よくアニメやイラストに出てくる「マフラーに髪の毛が埋もれてもふもふしている状態」みたいなのが憧れで、彼女たちがどうやってあの技術を習得したのかとても気になる。
 
彼女たちのふわふわした柔らかいあのニュアンスヘアーは、北風に煽られても崩れないのかしら。
 
彼女たちの髪型維持の努力は、底知れぬものなのかしら。
 
現実に生きているわけではない女性なのに、想像しだすと止まらない。
 
 
 
現実の世界でも、電車で本を読む女性を見るとその知性に憧れて、あれやこれやと想像してしまう。
 
彼女たちはもしかすると大学の課題に追われてやむかたなし本を読んでいるのかもしれないし、人気小説の続編が出版されたので楽しく読んでいるだけなのかもしれない。
 
詳細は分からずとも、本を読んでいるというそれだけで、漂う知性は他の乗客と一線を画する。
 
私が底なしに単純、というのもありそうだけれど、もし本を持つだけで知性を感じてくれる人が増えるなら、私は何冊でも本を持ち歩きたい。
 
 
 
他人への豊かな想像力は、きっと母親譲りなんだと思う。
 
私の母は、街ゆく人を観察しては「この人こうね、ああね」と言うのが好きなのだが、思えば、その多くは女性に対する意見だ。
 
ところが男性が母のようにする場合も、対象の多くは女性。
 
これだから男性は!と言うつもりは全くもってないけれど、なんとなく女性には、ファンデーションの下に隠した本性、みたいなものが(必ず)あると、性別問わず思い込まれているような気がする。
 
男性よりもブランディングに真剣になっている、みたいな。
 
確かに、その気はあるかもしれない。男性になったことはないのでわからないけれど、ぐるりと回りを見渡すと、そういう自己実現を目指す女性は確かに多い。
 
人工天然、という生態もあるくらいだからね。
 
私も然り、人間観察で言い当てたと思い込んでいるそれも、結局のところ、彼女たちの策略に嵌っているだけにすぎない可能性があるということだ。
 
彼女らが人目につかない努力でそのイメージを作っているのであれば、まさしく嵌められた、と言える。
 
 
 
私が憧れる、電車で眼光鋭く本を読む彼女も、マフラーに埋もれたカワイイあの子も、憧れを抱いた瞬間にその作戦にまんまとはまってしまっているのかもしれない。
 
私もあの子と同じくらい努力すれば、うまくマフラーを巻けるようになるのかしら。そしてそのささやかな努力は、きっと相手に悟られないくらいがちょうどいいのだろう。