プライドの対価
だいすきな本を、初対面の人に譲った。高校生のとき読み終わってすぐに手放したのをよほど後悔して、大学生になってから買い直したくらいだ。
事前に本を譲ることは決まっていたのだが、実際に手放すとなると想像の何倍も悲しい。
「そんなにお気に入りなら、ちがうものを渡せばいいのに」と思われるかもしれないのだが、仮に自分の中で「まあまあ面白い」レベルのものを相手に渡してしまったら、「この人、このレベルでオススメできると思ってるのかあ」とがっかりされてしまいそうで嫌だった。
小さなプライドで、二度と手に入らない(かもしれない)ものを手放そうとしていた自分に、もはや恐怖すら感じる。
小さなプライドで大きななものを失いかける、というのは往々にしてあるが、大抵、気づいた時には間に合わない。
失うものは、家電かもしれないし、信頼かもしれないし、恋人かもしれないし。ものの大きさも大切さもまちまちだけれど、特に時間は、失ったと気づいた時の後悔が大きいものだと思う。
給料の支払われなかったあのインターンも、対価に見合わぬ重労働を強いられたあの業務委託も、思い返せば、学生時代の貴重な時間を無駄遣いしていたんだなと大きな後悔が打ち寄せる。
お金ももらえず、薄味の『経験』しかできなくて、次第にやりがいもなくなった。
学生時代の時間が限りある貴重な資源であることに、もっと早く気づいておくべきだったと、取り返しがつかなくなった今思う。
やりがい、経験、とっても大事。
やりがいと経験値だけを求めて働けるなら、時間を無限に生成できる学生は安価な労働力として最適だ。
思い出したけれど、この間メルカリに出品して売ってしまったDSを取り返したくて仕方ないのも、今の私が抱えている後悔のひとつだ。
たぶん近日中に、同じものを買ってしまう気がする。
今日人に譲った本も、やはりどうしても手放すのが惜しかったので、全くおなじものをメルカリで買い直した。
それだけ手元に置いておきたいのなら、やすやす人に譲らなければいいのにね。いとあさまし。