思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

冬はつとめて

「春はあけぼの」で知られる枕草子は、現代の日本人に通ずる美意識の土台になっていると言われている。
 
冒頭だけを暗唱させるような学校もあるらしいけど、読み進めるうち、むしろ後半になればなるほどその面白さは加速するように思う。
 
季節の小難しい話だけじゃなくて、「どうせお坊さんの説教を聞かなきゃいけないなら、せめてイケメンがいいよね〜(意訳)」みたいなテンションの文章もたくさんあって、ちゃんと読んでみると案外面白かったりする。
 
旦那の知性と自分の知性がかみ合わなくて会話がつまらんわ(意訳)、とか。
 
結婚相談所で「相手の学歴は東大以上」の条件を出す女性の話にちょっと似ていて、いつの時代もこういう話は尽きないんだろうなと思ったり。
 
 
 
私の友達で「彼氏欲しい」が口癖の女の子がいるのだけれど、じゃあどんな人がいいのかと聞くと決まって「優しければそれだけで十分」と。
 
本当なのかしらん?
 
 
 
優しい以外はオールオッケーというのは、対象の門戸を広げているようで、実は狭めているような感じがする。
 
「夜ごはん、何が食べたい?」と質問して「なんでもいい」と答えられた時の、実は選択肢がひとつもないような、あの感じ。
 
優しさ以外の条件が一つもないのは、たぶんそれ以外にこだわる要件がないからそう言っているだけで、結局自分の感性に合う部分がどこにあるのかわからないでいるだけなんじゃないかと思ったり。
 
自分の琴線に触れるものがどう良くてどう悪いのか、清少納言ほど辛辣に書かずとも、彼女を見習う必要はあるのかもしれない。
 
優しさは最低条件であって、オプションの付け方がわからずにいるのはもったいない。
 
 
 
今の私はといえば、冷凍みかんを電気ストーブの目の前に置いて解凍してしまう現代人になってしまった。
 
古典で学んだ風流のかけらもない、時短生活を謳歌している。
 
秋の日が暮れる様子を待つのも、冬の寒い朝も、私の生活にはあまり馴染みのないものになってしまった。
 
清少納言が残した感覚そのものが受け継がれている実感はないけれど、彼女の観察眼だけでも、かけらが残っていればいいのにね。