思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

都会の弊害

今年も残すところあと10日を切り、大掃除をしなくちゃと思ったり思わなかったりする今日この頃。
 
私は久しぶりに1日家にいて(本当は予定があったのだけれどめんどうで出かけるのをやめた)、朝9時頃からクッチャネクッチャネを繰り返していた。至福の週末をありがとう。
 
けれどここにきて気づいた問題があって、さてどうしようとなっている。
 
今日1日を振り返って、頭を使った記憶が全然ない。
 
 
 
YouTubeでどの動画を見ようかなと考えたあの一瞬、Uber eatsで今日の夜ごはんに何を食べようかと考えたあの一瞬、今やるべきこととテレビをみることとどちらを取ろうかと考えたあの一瞬。
 
本当に短い「あの一瞬」を全てつなぎ合わせても、せいぜい3分にも満たない気がする。
 
考える葦とは一体。
 
 
 
家の外に出るまさにそのときも、今日は何を着て行こうとか、傘は必要かとか、靴は服装にマッチしているかとか、もう本当に、一瞬も考えないでいる瞬間がない。
 
電車に乗るときも、乗り換えにかかる本数を調べたり、目的地への到着時間を人へ連絡したりして、知らない間に行動の手順をひとつずつ頭の中で考えている。
 
私にとってパンプスを履くのかブーツを履くのか、コートにするのかダウンにするのか、新宿駅に向かうのか新宿三丁目駅に向かうのか、些細なことは大問題で、あらゆる選択肢を切り捨て拾い上げるのはとても労力がいる。
 
つまりは大変優柔不断であるという。
 
そんなわけで毎日選択を繰り返しているうち、これまでの何倍も疲れやすい体質になっている気がする。
 
 
 
前に書いた銀座線の満員電車もさることながら、私が家に帰ったときどっと感じるあの疲れは、自分で自分に課している選択の多さのせいなのかもしれない。
 
些細なことをどうするこうすると考える時間はもったいないという話もあるけれど、今まで散々悩んできた時間をいちどに0にするというのはとても難しくて、人間、すぐに変われるとは思えない。
 
そしてこの選択の半分以上は、東京近郊で暮らしていること特有のものなのかもしれない、と思ったり。
 
 
 
目的地へ行くための乗り換え方法がいくつもあるのは東京だけだし、買い物に行くにしても渋谷に行くのか新宿に行くのか下北沢に行くのか銀座に行くのか考える。
 
じゃあ渋谷へ、となったら今度は道玄坂に行くのか公園通りに行くのかセンター街で済ませるのか宮益坂まで足をのばすのか考える。
 
渋谷なら原宿まで歩くこともできるし、表参道や恵比寿まで長距離移動するのも悪くない。
 
 
 
都会は便利だとは思うけど、選択肢が多すぎて困ることもたまにある。
 
だから結局いつもの街にしか行かないし、新しいお店を開拓するにも3ヶ月に一回くらいでいいかななんて思ったりする。
 
「年をとったら田舎に住みたい」という言説があるのも、東京特有の選択肢に疲れが見えるからなのかもね、と。
 
 
 
生まれてこのかた21年、余すことなく都市部の恩恵を受けて育ってきたので、そろそろここまで便利で大変な生活を卒業した方が身のためなのかもしれない。
 
けれど「将来は田舎に住みたい」と言えるほど田舎に住んだことがないし、すぐにお出かけできない不便さには、正直耐えられる気がしない。
 
適度に都会で適度に田舎で、満員電車がなくて物価が安いところ。バストイレ別で駅徒歩5分以内の物件の家賃相場が7万くらいのところ。
 
知っていれば、誰か教えてください。