思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

自由が丘のカップル

2年近く、下書きTwitterの下書きフォルダに温められているツイートがある。
 
 
どうして男女が道を歩く時、男性が車道側に立つのが美徳とされているのだろうか。
 
今年も車道側を歩く女性の腰に手を回して場所を変わるタイプの男性が散見されるようになりましたが、私は車道側を歩くだけで心配されるようになりましたが、私は車道側を歩くだけで心配される女にはなりたくないと思います。
 
引き続き、強くたくましく生きていこうと思います。

 

 
東京は自由が丘駅で、ホームの端を歩く女性をそっと内側に寄せる男性を見て書いたツイートだと思う。
 
そしてその男女へのヘイトが強すぎる気がして、「下書きフォルダに保存」にそっと保存した記憶がある。
 
ヘイトが大きいツイートはともすれば「慰め待ち」に見える気がして、自分が発信するのは憚られる。
 
余談だけれどもそういうツイートが私の下書きフォルダにいくつもあって、何か似たようなことを思うたびそのフォルダを開いては「やっぱりちょっと違うかな」と思い直すことがたくさんある。
 
インスタへの不信感とか、新しいことを始める時特有のやる気と勢いとか。
 
 
 
この「車道から内側に場所を代わってくれるやつ」はされて嬉しくないという話ではなくて、むしろ「教育された紳士だ…」と胸キュンどころか感動すら抱くことが多いのだが、人の様子を見ているとなんだか落ち着かない気持ちになるので不思議だ。
 
自分の土台にある中高時代に男性の影はさらさらなくて、体育祭のテント張りも文化祭の机移動も全てが女子の手で行われる環境だった。
 
自分のことは自分でする、力仕事ができる人は遺憾無く力を発揮する、力で貢献できないなら他の価値を探し出す、そんなウルトラサバイバル女子校生活を謳歌してきた私にとって、男女が寒い冬を温め合う景色こそクリスマス然とされるこの季節はなかなか不思議な気持ちがしてしまう。
 
楽しいんだけどね、楽しいんだけど、クリスマス前後にそういう人がやたらと多いような気がしてくるわけ。
 
私が意識してるから目につきやすくなってしまっているのかしらん。
 
そういえば大学1年の時も、秋学期になると学内で手を繋ぐ男女が急増したよね、という話で同級生と盛り上がったことを思い出したり。
 
盛り上げ上手なイルミネーションがそんな二人を後押しすることもあるのだろうが、今年のクリスマス前後は心筋梗塞の危険があるとかないとかのニュースをみたのでお気をつけて。
 
いやそれはともかく、いいんだけどね、本当に!
 
気温の谷が深まるからこそ相手との距離が近づくみたいな話はあるんだろうが、できれば12月だけじゃなくて、教育された野生の紳士は年中どこでも見かけられるようになればいいのになと思いましたとさ。