思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

他山の石

面接待ちの20分間でこの記事を書いているんだけども、「ブログを毎日更新しよう」と決めてからこういうスキマ時間の大切さが身にしみてわかるようになった。
 
電車に乗るときはなんとなくSNS見て、学校の授業中もなんとなくSNS見て、家に帰ってテレビを流しながらSNSを見る、みたいなズブズブの生活からは、心なしか脱却してきた気がする。
 
心なしか。
 
 
 
何かを毎日しなきゃ、と思うと、他の時間が犠牲になることもある。
 
けれど私の場合これは犠牲になっているというよりむしろ昇華されている感じがして、毎日意味なく消耗されていた時間を成仏させられたような気もする。
 
自己満足のための昇華だとしても、自分がやりたいことをあえて義務にするというそれだけで「今日もちゃんとやりたいことができた、自分は偉いんだ!」という自己肯定感が高まって、自分で自分のヘルスケアができるので、こちらとしても大変都合がよい。
 
他人からもらう言葉で健康を保つことはもちろん大事だが、彼らがいない1人の日、自分の機嫌を自分で取らなくては仕方がないというのがやっとわかったのかもしれない。
 
人のおかげで自分の健康が保たれることがほとんどだが、その逆も然り。
 
 
 
忙しそうな人と日程調整する時、本当に相手に申し訳ない気持ちになる。
 
けれどそれが1週間も帰ってこないと「生きてる〜〜?」と送りたくなるし、それ以上連絡が帰ってこなかったらそれはもう完全にそういうことなのでは、と手元のダイヤルで119を入力してしまう。
 
実際に「そういうこと」になった経験はないけれど、当日待ち合わせ場所に着いた旨を報告すると「今日はやっぱり無理になりました」とか、当日のその時間が過ぎて丸一日経ってから「無理でした」とか、いやそれは、まじか、みたいなことは結構頻発している。
 
ただ単に「年下だから」という理由で他に比べて優先度が低くなるのももちろんわかるし、当日、本当に忙しくて連絡ができない状況というのは私も経験があるのでとってもよくわかる。
 
加えて、その忙しさというのはきっと私が体験してきたそれとは異質のものなんだろうという想像力も働く。
 
私がそこでできることといえば相手をいたわることくらいなものかもしれない。
 
時間の価値はオトナとコドモで違うのかもしれないけれど、私も幼稚な頭で考えたなりにその日の予定が効率よく回るように時間を組んでいて、そして一つの歯車が噛み合わなくなると途端に全部が崩れてしまうということがあって、さらに最近よくその雪崩が起こるものだから、なかなか悲しくて仕方ない。
 
怒る、とかではなくて、純粋にただ悲しいという。
 
これは年齢が上がれば上がるほど、相手から見たプライオリティも高くなれるのかしらん?
 
あまり、そんな気はしないんだけれども。
 
 
 
相手のことをいたわりつつも、我が身を省みてしまう。連絡が遅れて迷惑をかけてきたみなさん、すみません。
 
そしてやるべきことはしかとやる、一見当たり前のように見えて当たり前にできないことを、きちんとできる人になろうと思います。