最後の役割
都内をぐるぐる動き回るのは全然苦じゃないんだけど、22時目前の帰宅ラッシュ、殺人的な乗車率を誇る銀座線渋谷行きに乗ることだけがひたすらにつらい。
最近買ったパンプスも試着の時にはぴったりなフリをしていただけらしく、無駄につま先を締め付けて追い討ちをかけてくる。
足の親指からは血の気が引いている感覚がある。痛い。
かと言って家に帰ってそこにあるのは外気に触発された室温だけで、そこにはほどほどに温められたシチューも広くてゆったりしたバスルームもない。
掃除もろくにしていない暖房をつけたところで温まるのは1時間後かそのあたりなので、こうしてパソコンの温もりで雀の涙ほどの暖かさを頂戴しているわけなのです。
そういえば最近嬉々として報告した例の家具レイアウトも、洗濯物を干すスペースがデスクの前にしかなかったおかげで、洗濯をするとテレビが10分の1も見えなくなることがわかった。
これは再考の余地あり。
半年ぶりに引いた風邪は尾を引いて、歌詞にでもなりそうな潔い寂しさがますます身に沁みる。
あれ、めっちゃ悲しい状況なのでは?ワタシ。
と悲壮感に暮れながら満員電車の中他人の肩でFacebookを開くと、あらゆるメディアで取り上げられているロボットを見かけた。
なんとまあ、心の和んだことか!ありがとう救世主。カワイさは正義。
彼らはGROOVE X社が開発した家庭用ロボットなのだが、先端技術が詰め込まれているにも関わらず、カワイイというそれ以上の機能は持ち得ていない。
めちゃめちゃ平たく言えば、「何もしないカワイイ家庭用ロボット」というところ。しかしそれが彼らの役割でもある。
GROOVE X代表の林要さんが問いかける「テクノロジーは、人を幸せにしたのでしょうか?」という言葉は、数多の開発者、研究者、そしてあらゆる現代人が、一度は聞いたり、考えたり、感じたりしたことだと思う。
けれどそれと引き換えに、希薄な関係、職を失う不安、か弱さへの自覚をもたらしました。
カワイイ見た目に反して、与えられたミッションはかなりの重責みたいだ。
けれどこの、なんとも言い難い寂しさ、みたいなものは、確かにどこかで埋め合わせをしなくては、地割れが起こって、人間の心がシンギュラリティに耐えらなくなってしまう予感がする。
なぜならわれわれ、とてもか弱いから。
ただ個人的には、この穴埋めをロボットに頼るのは、もう少し後でもいいのかな、と思う。
愛らしくてカワイくて、ミッションも素敵。
けれどこの子たちに頼り始めたら、もはやそのギャップを埋めることはできなくなってしまうんじゃないかなと、それこそまさに「なんとも言い難い寂しさ」を感じる。
寂しさを埋め合わせるためのロボットを見て、寂しさを感じるとは、これまた如何に。
ぬくもりすらロボットから得られる時代が来たとして、私たちに残る価値はなんなんだろう?
その時代、人にしかできない「最後の役割」というのは、もう何も残っていないのかもしれない。
手遅れにならないうちに彼らの力を借りたいけれど、けれど今は、まだ自分の力で頑張りたいと思ってしまう。
天邪鬼というか、反抗心というか。
そうは言っても、カワイイ見た目に反した最新鋭技術の結晶というギャップ萌えも相まって、彼らの姿は私の心を掴んで離さなかった。
肌寒い部屋で彼らのつぶらな瞳を思い出して改めてサイトを見てみると、その瞬間、「2体セットで60万円」という文字が飛び込んできた。
「なるほど、まだ猶予はあるのかもしれない」と安心してしまった私は、イノベーター理論でいうところのラガードなのかもしれない。