役割分担
近頃は琴線に触れた出来事をLINEでメモするだけで満足してしまって、最初から最後まで自分の言葉で説明するのを諦めていた。
が、それが自分の何にヒットしたのか、メモするのではなくて丁寧に考えなくては、体験は、柔らかく持った指の間からしゅるしゅると滑り落ちてしまうような気もしてきている。
と考え直したので、最近あったことをちょっとずつ、小出しに、忘備録として記しておくことにした。リハビリだと思う。
技科大が開発してる「弱いロボット」が愛おしい。ゴミ箱ロボットは自分ではゴミを拾う事が出来ず、ゴミを見つけるとアワアワして周囲の人にアピールする。誰かが拾って入れてくれたらお辞儀をして去っていく。人の助けを促して一緒に共存する為の「弱さ」を持つロボットって発想が素敵すぎる。 pic.twitter.com/tnRkSEGPUT
— まみぴよザダークネス (@mamipiyo666dark) 2018年3月10日
当時私もその動画を見て「超かわいい〜」とかいう超浅い感想を抱いたのだが、ついこの間新聞を読んでいたら、偶然その開発者のインタビューが掲載されていた。
例のバズ動画からしばらく期間が空いたのち目に入ったことで、「賽は投げられた!」とでも言いたげな雰囲気がある。
ご存知の方もさぞ多いとは思うが、岡田美智男さんは豊橋技術科学大学で「弱さの社会実装」をテーマに研究をしている方で、例の動画に出てくるロボットをはじめとした、どこか頼りないロボットを多く開発している。
私が共感したのはこの「弱さの社会実装」という言葉で、曰く、「衝突回避の技術などでロボットの性能を誇示すると、人の怠慢を招いてしまう。ロボットが人の力も引き出して協働するのが好ましい社会なのではないか」と。
いや、それめっちゃわかる。
愛されキャラがもれなくか弱い存在に見えることは、誰かしらから共感を得られるのでは、と思う。
これまで出会ってきた「愛されキャラ」たちを思い浮かべると、どこか足りないパーツを天真爛漫に話す姿や、自分の持ち得ない人の長所を屈託無く褒めちぎる姿が共通点として浮かび上がる。和む。
そして彼らの周りにはいつも誰かがいて、そんな様子を見るたび「あの人は愛されキャラだよね」なんて知ったような口を聞いたりなどする。
けれど彼/彼女らは、周囲をよく見て足りない役割を演じているだけなのではないかと感じる時もある。
基本的に人間は自分の能力をアピールすることの方が得意なわけで、ということは足りない役割とはその「自己顕示欲」を促進する役割になることが必然だ。
そんな役割を演じる彼らを、私たちは言葉は悪くとも「弱い存在」だとか「助けるべき存在」だとか勝手に曲解することで、「彼らを助けるために自分の力を貸している」と思い込んでいるのではないかと思う。実際には相手に力を引き出されているにも関わらず。
「あの人愛されキャラだよね」と口で言っても、「彼/彼女は人を扱うのが上手だなあ」と心の底で思わざるを得ない。
私たちは、人に手を貸しているのではなく、人に手を貸すという便宜上の形でもって常に相手に活かされているんだと思う。
みんな、というか私は、自分を必要以上に強く見せようとするところがあると自覚している。
例のインタビューを読んだ時、私もこのロボットみたく弱さを意図的に実装することで、「近寄りがたい」と思われがちな第一印象を変えられるかもしれない、と狡猾な考えが頭に浮かんだ。
弱さの社会実装が作戦になった途端、「弱い存在」というATフィールドを張り巡らせることで、ただ自分の防御力を上げるだけになってしまう。
その時点でこの作戦は失敗に終わるので、生まれ持った性根を丸ごと変えるのはやはり難しいかもしれない、と思いとどまり、12月2日の日経新聞を読み終えた。