チームメイト
「チームになる」ことにこだわりを持つようになったのは、いつからなんだろう。
高校生までは、個人で動くのが気楽で好きだった。
「教室移動なんて、ひとりでいいじゃん」って。
今でもその気質を引きずって、大学の授業なんかはひとりで受けることが多い。
カラオケも、焼肉も、スカイツリーも水族館も、すぐにひとりで行ってしまう。
永遠にボーカルのカラオケ、飽きるほどの牛タン、一生見ていられる売店と、クラゲの水槽。
どれも気楽で、心地いいことこの上ない。
この上、なかったわけだ。
いつのまにか、人となにかをすることにこだわるようになった
誰かと自分の感覚が共有できれば心地いいし、違っていたならそれはそれで「なるほどね」と思う。
納得せずとも、「いろんな考え方の人がいるもんだな」とべんきょうになる。
共感を呼べるものがその目的に即したものであれば、さらに、とっても、大変よい。
ああ、あのチームで感じた違和感は、私の向いている方向と、周りの向いている方向が違っていたからだと思う。
「音楽性の違い」とか言って解散するバンドは、あながちウソじゃない気がする。
たった20数年の人生でも、すぐに抜け出した場所はいくつもある。
チームでありつづけることは、思っていた以上に難しいらしい。思想あるチームでありつづけることは、なおさらだ。
それは人数が多いとか少ないとか、高校生なのか忍者なのかとか、そういう単純な違いではなくて、「ナルトを支えるチーム」の構造なのか、「桜木花道とチームメイトが同列で競争するチーム」の構造なのかという違いなんじゃないかな。
あくまで自分を人生の主人公とするのなら、私はナルトよりも桜木花道になりたいと思う。
ときどき、今のバランスが崩れることが怖くなる。
残りわずかと思うたび、ふいにひとり泣きそうになる。
これだけ毎日会っているのに、これから毎日会えなくなることを思うと、帰り道の後ろ姿を見て訳もなく悲しくなることがある。
こうして訳も分からぬふりをしているだけで、本当は訳はあると思う。
分からないふりをしているだけで、本当は分かっている。
つまりこの先、結局なんとかなるものなのだ。
悲しいとか、切ないとか、寂しいとか、辛いとか、センチメンタルな感情は信じられないほどの秒速を誇っていて、今あるこのチームが解散しても、なんだかんだうまくやっていくんだと思う。
誰かひとりが欠けてもうまくいかないのなら、「やっぱり戻っておいでよ」とか、「キミがいないとダメなんだ」と駄々をこねられる。
けれど実際はそんなことはなくて、踏ん切りをつけてしまえば案外なんとかなる。
それが分かっているから、余計に悲しくなってしまう。
この人たちといっしょのチームにいられるのは、本当に、この時間が最後なんだと分かってしまう。
今週はいろんなことがあっていろんなことを考えていて、心なしかいつもより直接的なことを言ってしまうけど、今しか考えられないこともあっていいと思う。
来週も、がんばろう。できることから精一杯。