思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

年の瀬のゆらぎ

メリークリスマス、世の中。
 
インスタに輝く無数のLEDは、今日でお役御免になるんだろうな!
 
リアルな世界のスーパーでは鏡餅が山積みになっていて、その商魂のたくましさに感心しながらも、1年の終わりと始まりがすぐそこにいることを実感させられる。
 
そろそろオバアチャンとオジイチャンに年末のお手紙を出さなくちゃ、と思うようになると、いよいよ年賀状の存在を思い出したりもして。
 
クリスマスと年末はもう双子みたいな奴らで、あいつが来ればこいつが来るし、もうまとめて一緒にしてやれよ、と思ってしまう。
 
 
 
12月26日のクリスマスなんてなかったかのような街頭で突然「今年、あなたが一番嬉しかったことはなんですか?」と聞かれたら、今年はなんて答えよう。
 
年内やり残したことはないと自信を持って言える気はしないが、それなりに色々と手を出した感触は残っている。
 
やってみてやらなきゃよかったなと思うこともあったし、やってみてこれは大変むずかしいと思うこともあったけれど、何にも手出しせずぬくぬくやっているだけでなかった点だけでも、まずは自分をヨシヨシしてやりたい。
 
散々他人と比較してばっかりなんだから、ひとりの時くらい優しくしてやってもいいじゃない。
 
これまでは叱咤激励の限りを尽くしてきた我が身に、時にはアメを与える必要があると知れたのは、「いいこと」かはわからないにせよ収穫ではあったのかな。
 
まあそうね、逆に、反省点といえばこういう、自分を甘やかしている時間が長いことだったのかもしれないね。
 
それ自体悪いことではないけれど、お菓子の食べ過ぎが体に悪いように、何事にも限度があるのかもしれないね。
 
 
 
こうして口を開けば私が自分が自分たちがと我々の話ばかりで、けれど同時に、高くて広い、まるで灯台のような、神様のような視野を手に入れれば、私はもう最強になれるかもしれないと自惚れていて、己の自己愛に辟易しているところがあるのも嘘ではない。
 
12月末のスーパーみたいな、クリスマスとお正月のバランスを取るのが難しいあの感じが、自分の中ではどこか1年中ある気がしていて、だからこの時期のそわそわしたあの雰囲気が自分のゆらぎとマッチして、毎年心なしか落ち着いた気持ちになるのかもしれない。
 
年の瀬のせわしなさと自分のゆらぎがマッチしてるって、どれだけ年中ブラブラしてるんだろうね。
 
想像して笑っちゃったけど、でも案外、言い得て妙だと思ったり。