青春の終わり
ある知り合いが
「俺の青春は部活だった」
と言っていた。
彼は高校時代ラグビー部に所属していて、なかなか名の通った選手だったらしい。
が、大学生になってからはインカレ飲みサー要員になったということで一線から身を引き、楽しいキャンパスライフに興じる日々を送っているようだった。
大学に友達らしい友達を数人しか擁していない私からすれば、毎日飲み会に繰り出し3日連続カラオケオールも厭わない彼の体力とコミュニティ適応能力は本当に羨ましい限りで、模範的な大学生活に盛大な賛辞を送りたい。
ところで、私はこの言葉を聞いた瞬間、ぼんやり考えた。
「この人は、もう青春に一区切りついてるんだ?」
『青春はいつまでなのか論争』は、これまでにも様々な人が語り尽くしてきた、いわゆる手垢にまみれた話題だと思う。
私自身も小学生の時、父親に「パパはまだセーシュンしてるの?」なんてませたことを聞いた記憶がうっすら残っている。
当時30代だった父親は、小学生の幼い娘から見ればしがないオジサンに過ぎず、青春とかいうキラキラウェイウェイした言葉からはかけ離れた世代に見えていたのだろう。
小学生だった私の『青春イメージ図』は、学校帰りに友達とマックに行く男女6人組、スポッチャで生まれる恋、お祭りの花火と一緒に打ち上がるキス、恋のライバルとの熱い戦いといったところだった(恋愛脳の小学生)。
毎朝満員電車に揺られてオフィスに繰り出す父親は、家族を養う責任感からか若干の疲れも見えていたに違いない。
しかし、この時の父親の回答は、「パパはまだセーシュン中だよ」だった。なんて希望に満ちたセンテンス。
かくいう私自身の高校時代はといえば、夜の校庭を友達と上履きで走り回ったり、夕日の見える屋上にこっそり駆け上がり、海の向こうに沈みゆく太陽を眺めたり。
幸か不幸か、選択の余地なく圧倒的ハピネスな女子校生活だったので、ただひたすらに少年漫画さながらのアツい青春時代だった。
しかし数年前、私が体験してきた青春が全面的に否定されたと感じたCMに出会った。
ぺちゃんこに平たくして言うとその内容は、淡い恋愛模様的なものが描かれていて、しかしその恋は残念ながら実らない、コメディタッチの物語だった。
ここまではOK、むしろ面白くていい感じ。
ところが最後に登場したコピーに驚愕した。
「青春がないのも、青春だ」
私はこの言葉を「ラブロマンスのないあなたは(他の人より青春してないけど)、まあそれもありでしょ」くらいのテンションで捉えた。
いや、いやいや。
恋愛だけが青春だと思ってます?恋愛のない高校時代は青春ないってことですか??
青春が人それぞれなのはもちろんなのだが、色恋沙汰のなかったあの高校時代を「青春がない」と一言バッサリ切り捨てられた感じがしてとっても切なくなったわけ。
人にとって捉え方の全く違う言葉を「ない」と全く否定してしまうのはすごく心無くて、うーんなんというか、こちらのことも考えてよ、と、まるでその集団を代表しているかのような気持ちになってしまった。
場面は違えど、そういう切り捨てるような言い方していること、私にもあるのかなあ。
自分ではわからなくても、他人はそういうところにこうして敏感に気づいたりする。
価値観の押し付け、ダメ絶対。とかね!