減価償却
電車に乗っていると、異常にスカートの短い女子高生に出くわすことがある。
彼女たちはその数センチで一体何を守っているのか、その布に果たしてどんな意味を込めているのか、心の底から彼女たちに問いたい。
さて、そんな東京の女子高生をみていると、自分が経験してこなかった「全てを持ち得る女子高生生活」に対して少しの嫉妬と懸念を抱くことがある。
最先端の街で行きたいところどこへでもいける自由さを持っていて、チープで希少価値の高い化粧品を心ゆくまで試すことができる。
自分でお金を稼がずとも、圧倒的保護の元で暮らせるという類稀なるチャンスを持っている。
もちろんこれが独りよがりな思考回路であることは重々承知の上で、この多くは嫉妬からなる妄想なのだろうとも思う。
しかし異常に短いスカートの裾を引っ張りながら階段を上る彼女たちを見ると、私の知らない世界を経験してきた猛者を打ちのめしたいような気持ちがどこからか湧いてくる。
そしてこの感情は、おそらく40代前後の人々が私を見るときにも思うことなのかもしれない。
私は若干21歳で、大学生社会では「3ババ」とかいう死ぬほど失礼な呼び名で呼ばれる世代であるにせよ(ちなみに私はこの呼び方が心底嫌いで、サークルに所属していないが故にこう呼ばれることがないのを改めて安堵することすらあるほどだ)、日本社会的に見るとまだ若い方と言われていい年齢だと思う。
若さという価値のひとつがなくなったとき、ここに残るのは何だろうと思ったり。
今の私は、化粧をすればなんとか肌荒れがごまかせて、ある程度自分の好きな服を好きなように着ても非難されない若さを持っている(と、思う)。
しかしこの先歳をとれば、化粧では隠しきれない乾燥肌に悩まされ、「自分が好きだから」という理由で買ったミニスカートを履けば「イタいおばさん」と揶揄されるようになる。
男性は歳をとればとるほど深みが増し熟成されるとか言うが、女性の場合、熟成はおろか、腐敗し、周囲の視線と戦いながら生き抜くだけの魔女となることだってありうる。
ここにきて男女の差をとやかく言うつもりはないにせよ、加齢と死闘を繰り広げる我が母を見ると、やはり歳をとるのは悲しいだと思わざるを得ない。
加齢という逃れられない減価償却を目前に、私に必要なのは、歳を取っても資産価値の変わらない知恵と教養だと感じることはこの上ない。
これもまた日に日にアップデートしなければ古い価値観に囚われ生きることになるので、その点魔女と変わらないのかもしれないけれど。
賢しい女性が幸せになれない時代が終わり、教養こそ価値とされる新時代が訪れることを願ってやまない。
と言いながら、教養という言葉を盾にNetflixを開く自分が、寸分狂わぬこの未来に見えるのは、きっと私だけではないだろう。