つたえかた
何歳になっても、親の小言は耳が痛い。
この間も進路を心配する両親から連絡があって、あれこれ話をしているうちに、そこはかとなく、言い合いになってしまう瞬間があった。
物理的な距離を挟んで的確なニュアンスをやりとりするのは難しいことなので、あくまで事が大きくならないうちに、と思い、好意的なスタンプで話の区切りをつけた。
そもそも、私はそういう意味で送ったわけじゃないんだよ〜。
相手が誰であれ、人とテキストベースでやりとりしているときも、「そういうニュアンスで送ったんじゃないんだけどな」という受け取り方をされる時がある。
棚ぼたでいい方向へ転がったのであれば全然問題ないのだけれど、ごく稀に、逆方向にゴロゴロ転がってしまうこともある。
自分が想定していなかった受け取り方をされたならそれはもう後味が悪いし自分の伝え方を恨むのは当然なのだけれど、それ以上に、自分がして欲しかった受け取り方を「させた」時もまた然り。どちらかというとむしろ、自らそういう伝わり方を選んでいる時の方が、後味の悪さが色濃く残る気さえする。望み通りだったのにねえ。
相手を嵌めたような感覚が気持ち悪いのかもしれない。笑いが欲しい場ならまだしも、普通のコミュニケーションで相手を嵌めてしまうと、自分が悪人のような気がしてくる。
ただのお人好しなのかもしれないし、相手は何も思っていないとは思うけれど。
人に的確なニュアンスを伝えるには、LINEの会話は早過ぎる。既読に追いつかれないようにどんどん会話を進めるには、言葉を推敲する暇がない。
「そんな難しいこと考えずに、気楽にやりなよ〜」と言われるかもしれないけれど、気楽にできるならとっくにしている。
私は、Twitterのようなコミュニケーションの方がよっぽど得意なのかもしれない。人の何気ない呟きに、気が向いた時だけ会話を繋ぐ。
それはそれで寂しい時代になってしまいそうだとも思うけど、現実世界で人と話すシーンを思い浮かべると、そんな状況の方が多い気もする。一対一の会話に誰かが乱入してきて、大人数の会話になったり、いつの間にか2人に戻っていたり。
その情景を鮮明に思い浮かべると、やっぱり、高校の教室に引き戻される感覚がある。私を取り巻くコミュニケーションは、どれもあの教室で起こることが原点にあるらしい。
黒板の上の十字架が懐かしい。
明日は久しぶりに昔の友だちと会えるらしくて、今から楽しみ。
あの時の友達と会うと、問答無用で例の教室に戻される。戻される、というより、戻れる、というニュアンスが正しい気もするけれど。さて今回は、どちらが適切なのかしら。