思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

ゆとりの自覚

朝の渋谷をぐるりと見渡すと、見慣れた景色が少しもの寂しい。この静けさは一体、と考えるよりも先に、ああ、朝だからか。と気づく。
 
その静かさの異様なことは、外国人観光客から「有名な横断歩道が見つからないんだけど」とスクランブル交差点の目の前で尋ねられるほどのものだった。実は目の前にあるんです、人が少ないだけで。と答えた。
 
三連休が終わってしまった落胆が、街中のあちこちに散見された。道端で話しかけてくれた彼らは、想像していた通りのスクランブル交差点を見ることができるんだろうか。夜にもう一度来るといいよ、と付け加えてあげればよかった。
 
 
 
静かな観光地は予想を悪い方向へ裏切ることもあるけれど、その地域で生活する人からすれば、これほどありがたいことはないのかもしれない。
 
一時期京都が好きすぎて、月に1回くらい、一人で遊びに行っていたことがある。人混みが嫌で、桜や紅葉の季節はあえて外していた。けれど京都の人からすれば、当然そこで日常生活が営まれるわけだから、外すことも、避けることもできそうにない。家族旅行で京都の桜を見に行った時には、バスを待つ列の長さに絶句した。地元が世界有数の観光地なのは名誉なことだと思うけど、住むには都合の悪いことこの上ない。
 
京都はさておき、渋谷の朝に目を向ける。
 
いつもはうるさい街が静かなだけで、自分の心にゆとりが生まれたかのような錯覚がある。「メイクが面倒だから」と引きこもりがちな自分が、朝からカフェで作業するだけで、心のゆとりを感じられる。なんともお安い魂だこと!つくづく安易な自分がありがたい。
 
 
 
これがかりそめだとしても、自覚症状のあるゆとりを手にいれるだけで、普段よりも冷静になれる。それがたとえ、昼過ぎのスターバックスだとしても、いつものように音楽を聴いていたとしても。副交感神経の優位性をひしひしと感じる。物怖じしない人の心に、いつでもゆとりがあるのは本当なんだと思う。
 
逆に言うと、普段の自分がいかに忙しないのかよくわかる。しかもちょっとの「面倒」を乗り越えればこのゆとりを手に入れられることがわかって、自分の怠惰な性格が憎らしくて仕方ない。
 
気づいたことが第一歩、明日からのヒントを手に入れたと思えば、問題ない。これまでに過ごしてきた自堕落な時間が、このヒントのおかげで清算できますように。