思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

わかりにくさ

昨日投稿した自分の文章を見て、「この人、何言いたいのかわからんな」というシンプルな感想を抱いた。
 
過去の自分と今の自分の違い、みたいな高尚な話ではなくて、単純に抽象的な言葉に任せてそれらしいことを言おうとしているが、ひとつも的を得ていないという感じ。
 
自分が言っていることがわからないことは何回かあったが、書き言葉においてもそういうことが起こりうる、というひとつの学びを得た。
 
 
 
抽象的な言葉は一見それらしいが、あまりに連なるとただの屁理屈状態になってしまう。
 
そりゃ正直なところ、ブログだってせっかく続けているんだから、毎日投稿したいという気持ちはある。
 
けれど単純に、毎日小難しいことを考えているわけではないし、毎日毎日起承転結を考えて物事を体験しているわけでもない。無論、誰かを観察して、ネタ帳なんかにストックしているわけでもない。
 
けれどとにかく抽象的な言葉が多いのか、伝える意欲が薄いのか、中身のない話をしているなあこの人は!と思ってしまったわけだ。
 
過去の自分、ごめんね。未来の自分、ご指摘ありがとう。
 
抽象的な言葉は守る範囲が広すぎて、あまりに的を得ないことばかり語ろうとする。
 
 
 
抽象的な言葉というのはなんだかそれだけで力を持っているように見えるので、あまり脚色せずにそれらを羅列するだけでも十分うまい具合な意見完成したりする。
 
もちろん抽象的な言葉だけで全てが伝わりきらないから具体的な話をするんだけれど、じゃあ具体的な話に振り切ってしまうとそのサンプルのクオリティによって伝わるものと伝わらないものがある。
 
つまり、どちらかというと抽象の方が少しだけ上のレイヤーにいるというのが持論なわけだ。
 
 
 
人に伝える抽象と具体の塩梅は本当に難しい。
 
この絶妙なバランス感覚が持てたなら、どれだけコミュニケーションが楽になるんだろうとも思う。
 
言葉にできない思考は無駄だ、とする論調もなきにしもあらずだが、その階層が若干上にある以上、やはり抽象的な言葉を頭の中で組み立てられる人の方が、具体例の出し方だけが上手な人に比べて一枚上手なのかもしれない。
 
この具体例というのは衣装と一緒で、伝えるプロセスの中でどんな衣装を纏うかによって、相手からの見え方が大きく変わってしまう。
 
あるいは、自動車のぬいぐるみを内向きに飾るか、外向きに飾るかの違い。
 
 
 
あまりに抽象的な話を聞くと、自分も相手からこう受け取られることがあるんだろうなあ、と思うことがある。
 
昨日の文章でも今日見直さないとわからないことがあるように、他人の立場に立たないとわからない「わかりにくさ」というのがあるんだろうなと思った。