思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

思っていること

母から、「思っているだけでは伝わらないこともあるのよ」と言われたことがある。
 
当時の私は家にいてもあまり話さなくて、たまにある口論の時にも黙って相手の怒りが収まるのを待つだけだった。
 
母との口喧嘩の時に黙っていたら、私のむすっとした顔がどうやら癪だったらしく、火に油をそそぐ結果となってしまったらしい。
 
そこからしばらくの間話は続いたが、私は適度な相槌と心からの反省の意を表してその場を収めたつもりでいた。実際は母の無償の愛に助けられていただけに過ぎない。
 
「思っているだけではわからない」
 
当時の私は「思っていることも汲み取れるのが家族なんじゃないの」とかなんとか思っていたのだが、これ以上何か言っても逆効果だと思ったのでまた黙り込んでいるより他なかった。
 
 
 
今になって思えば「血が繋がっているなら大丈夫」というのも不思議な話だ。
 
正直なところ、家族という関係に甘えて自分の考えを言語化する努力をしてこなかっただけなんだと思う。
 
自分じゃない誰かに意見を伝えようとするのなら、臆することなく意見を言うべきだったはずだし、それは血の繋がっていない友人でも家族でも同じことだったはずだ。
 
 
 
「言葉にできる」という能力が想像以上にすごいことだと気づくのは、もっとずっと後の話になる。
 
自分の思っている齟齬なく人に伝えるには、頭で考える思考の深さと高い語彙力の両方が必要になる。口に出さない分考え事は広く深く行き渡っていたものの、私の場合、それを伝える訓練があまりに足りていなかったように思う。
 
今となっては人と関わったり本を読んだりして人並みの言葉を手に入れたが、それでもやはり面と向かって人に向き合うには言葉のストックが全然足りないと感じる。
 
「伝え方」というと小手先の技術のような響きがあるが、その言葉に含まれる知識の量や思考の深さを考えると、案外小手先の技術というわけでもないのかもしれない。
 
 
 
両親と離れて暮らす今、顔を合わせて話せる時間が短くなってしまったからか、実家に帰ってもそれなりに話すようになった。昔の自分を今目の前にしたら、最初に伝えるべきは「思ったことは言いなさい」だと思う。
 
ひねくれ者の自分がそれを真に受けてくれるかはさておき、伝えるべきことは伝えておかなきゃと思うわけだ。