思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

夢占い

久しぶりに夢を見たので、忘備録。
 
時刻にして、13時過ぎ。
 
夢の中で泣いていたら、目が覚めても泣いていた。
 
君の名は。のイントロみたいだけれど、本当にこんなことあるんだなあと思った。前に同じようなことがあったのは、覚えていないほど昔のことだ。
 
 
 
夢の中で、私は母親とオバアチャンと歩いていた。後ろの遠くの方では、小さな従兄弟とオジイチャンが歩いている。
 
従兄弟と私は20歳近く歳が離れているので、彼女たちの年齢は現実世界とリンクしているらしい。同じように、母親と歩く私も今の自分の年齢と大差ない年頃らしかった。
 
夢の中では、いつも一歩踏み出すのに現実世界の10倍くらい重力がかかるのが不思議。スライムの中を歩いているみたいに足が重くて、両手で足を持ち上げながら歩いていたりする。
 
夢の中の景色は必ず夜で、今日も例に漏れず、暗くて細い道を歩いていた。中学生の時、毎日自転車で通っていた川辺に似た景色だった。
 
私と母親が並んで歩いていると、向こうに何かが落ちている。
 
私が(物理的に)重い足を持ち上げて前進し、それを手に取って見ると、昔よく遊んでいたおもちゃだった。
 
「ああこれ、今でも家に置いてたのよね」と母親が言う。穏やかな感じ。
 
家に置いていたものが道路の真ん中に落ちているとはこれいかに、というのはさておき、向こうへ目をやると、遠くの方まで点々と、思い出の品々が年代順に落ちている。
 
見ていくとひとつずつ思い出が蘇ってきて、なんだか泣けていた。ということらしい。
 
うーん、センチメンタル。
 
 
 
あまりに記憶が鮮明だったので、今になってネットで調べてみた。真偽の定かでない夢占いサイトでこのシナリオを調べてみると、
 
夜の川辺=将来への不安
穏やかな母親=物事が順調に進んでいる
夢の中で泣く=将来への不安、不安定な心
 
という意味らしい。物事は順調に進んでいる一方、自分では将来への不安が隠しきれていない、とかそういう意味になるのかしら。
 
就職に際した私にとっては、まさしくおっしゃる通り、という感じ。
 
嘘か本当かわからない夢占いだけど、事実としてはあながち間違いでもないのかもしれない。
 
 
 
たまにしか見ない夢の記憶が鮮明なのは、母が出てきたからなのか、なんなのか。
 
例の夢占いアフェリエイトサイトにはもっともらしいことがたくさん書いてあったけれど、正直なところ、遠くに住む両親に電話も帰省もろくにしないことへの深い罪悪感が、この物語を作ったんだと思う。
 
忙しさを言い訳に見て見ぬ振りをしてきたこの事実、潜在意識を味方にまざまざと見せられて、なんだかものすごい反省の念が湧いてきた。
 
モラトリアムの終わりを間近に思い出すのは、やはりどんな言葉でも感謝を伝えきれない両親なんだと思う。
 
長くて完璧なスピーチを仰々しく伝えるよりも、ささやかで不完全な感謝を繰り返す方が、後悔は少ないのかもしれない。
 
 
 
今日の13時は、反省と感謝の目覚めとなった。もっと早起きしよう。