思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

友人関係

言葉の綾で、と言ったら逃げかもしれないが、「ワタシ、友達いないから」と言ってしまうことがある。

これは目の前のアナタが友達じゃないと言っているわけではなくて、大学だったり、別のコミュニティには友達がいないんだ、だからここだけでも仲良くさせてよ、という友好の印だったりする。

相対的に裏付けられた目の前の友達というか、なんというか。

そう言いながら、心の奥底では「ああ、あっちにもちゃんと顔のわかるステキな友達がいたんだった」と思い直して、彼ら彼女らに申し訳ない気持ちでいっぱいになることもすくなくない。

パッと思い出せなかっただけでその人を除名してしまった罪悪感は、何度思い出しても気分のいいものではない。

昨日の昼過ぎ、スーパーからの帰り道。自転車に乗った、3人組の小学生に出会った。彼女たちは、まあ自転車に乗っているわけだから、それなりに大きな声で話していて、話題に上がっていたオオハシくんのことが気の毒になるくらいだった。楽しそうだったなー。

今朝電車に乗っていたら、家族に手を引かれる幼稚園児らしき男の子がいた。幼稚園での、友達の話を両親にしているらしい。

雨のせいで時刻表通りに動かない電車の中は、黒いコートの大人で埋め尽くされている。

気を遣っているのかその子のお母さんは小声で相槌を打っているので、彼もまた、空気を読んで静かになった。

どうか、家に帰ったらこの満員電車のことは忘れて、新しいエピソードを大声で話して欲しい。

きっとお母さんも聞いてくれると思うよ。

本当にくだらない話を心底笑える相手がいれば、それだけで十分なんじゃないかと思う。友達だって、両親だってそう。

分かりきったことではあるが、本当にそういう人に巡り会えている人は、果たしてどれだけいるんだろう?

たぶん、誰でも1人は頭に思い浮かぶんじゃないかと思う。世界はそういう風に仕組まれているはずだ。

思い浮かばないならそれはきっと気づいていないだけで、実は身近な場所にいるんじゃないかと思う。目の前にいるとは限らない。画面の向こうにいるかもしれないし、あるいはそれが人間ではないかもしれない。猫とかね。

「本当にくだらない話を心底笑える相手がいれば、それだけで十分なんじゃないかと思う。」

実感を伴って心底そう思えたのは、もうすぐ会う友達の顔を思い浮かべて、「今日はどんな話ができるかな」と頰が緩んだからに違いない。