思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

得意分野

この間友達から突然LINEが来て、「感情あるロジカルな人はどういう思考回路で物事を考えているのか教えて欲しい」と言われた。
 
彼女にも途中で言ったのだけれど、私はそもそも非ロジカル側の人間が頑張って構造的に何かを考えようとしているだけで、元来は感情優位の性分だ。
 
よそから「冷たそう」とか「怖そう」とかよく言われるのはおそらく頑張っている話し方の印象が幅を利かせているだけだと思う。
 
あとは、こうしてブログとして書いた結果だけを公開しているので、文章にするより前のざっくばらんな思考回路がブラックボックスなのかもしれない。
 
レポートでもなんでも、誰かが読んでくれたらな〜と思って文章を書くときには、できているかはさておき、イヤでもわかりやすい構成を意識する。
 
書き言葉でそう見える一方、顔を合わせて話すときの話し言葉は、ほとんどの時間をアウアウ言って終わる程度の言語力だ。
 
こんなような非ロジカル人間なので、彼女への答えもイマイチ的を得ていなかったなあと、会話を読み返して思った。
 
人との会話は定期的に読み返してしまう。
 
 
 
一時期、授業で提出するレポートをいかにエッセイに近づけられるかという挑戦をしていた。
 
本来型通りロジカルであることが評価される中で、あまりに本質的でない遊びだなあと思う一方、レポート課題に対する嫌悪感が減ったのも事実だ。
 
本来ロジカルに考えなきゃいけない場面で、遊び心を持つ私は人と違う!みたいな厨二病的思想が働いていたのかもしれない。
 
他人と違う手法で楽しめる自分、オンリーワン!みたいな。
 
言葉にするとあまりにイタい。
 
 
 
世の中の論調として、「論理的であること」があまりに評価され過ぎているような感じがする。
 
的を得ているのであれば、手法の取り方はどちらでもいいんじゃないかしら、と思う。
 
度々登場する私のお友達で、頭が良くて人の話を噛み砕いて一般化できる、いわゆる「ロジカルな人」と、思ったことを思ったままに話して伝えようとする「エモーショナルな人」、面白いくらい正反対ふたりがいる。
 
必ずしもロジカルの意見が採用されるとは限らないし、逆も然り。
 
どちらも常に正しいことを言っていると感じるし、単純に、それぞれの得意なやり方を取っているだけなんだと思う。
 
 
 
ロジカルになるために方向転換に舵を切った時、今までの自分と向かう方向の歯車が噛み合わなくなるのが一番困る。
 
歯車も互いに調整して最終的には噛み合うようになるはずだけれど、その間のストレスは計り知れない。
 
ロジカルだから正しいわけでも、感情優位だから間違っているわけでもない。
 
自分が得意なやり方で、他人と渡りあえるならそれでいいじゃないか!と、思ったりして。
 
 
 
得意分野をそのまま伸ばすのか、苦手分野も伸ばしてどちらも対応できるようになるのか。
 
「こういう話、大学受験の偏差値でもよく聞くなあ」と、全く関係ないことを考える。
 

こういう行ったり来たりする無駄な思考回路だって、もしかすると、何かの役に立てるのかもね。