思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

おもいやり

この間送られてきた資料の中に、「会議中の曖昧な発言は、嘘と同じと思え」とあった。
 
その理論でいくと、曖昧な熟語やカタカナで済ませようとしてしまう私は、ものすごい嘘つきなのかもしれない。
 
ある言葉を熟語や外来語に翻訳すると、意味が広くなったり、相手を一瞬でもかき乱したりすることができる。
 
小手先の技術ではあるけど、自分に不利な状況の時には便利になってしまう。
 
我ながら悪い癖だと自覚していて、最近では、こういう言い方をしないよう意識するようになった。
 
「バジェット」なんて、予算って言えばいいのにね。どこか広い意味のような言葉に聞こえてくる。
 
 
 
「嘘も方便」という言葉があるが、少し言い方が悪いような気がする。
 
それが相手があえて自分に見せていない一面だったなら、それはそれでいいんじゃないかしらと思う。
 
不倫しているバンドマンが、必ずしも悪いアーティストであるとは限らない。
 
個人的な嘘が、社会全体に向けての嘘であるとは限らない。信用問題はさておき。
 
 
 
高校生の時、私に笑顔で話しかけてくれるクラスメートがいた。
 
私の見えないところで、彼女が私の陰口を言っていたことは知っている。
 
けれど今の彼女が私に笑顔を向けるなら、せいぜい酒の肴になりそうな話題を避けるだけだ。たとえ、高校生であろうとね。
 
彼女がこちらを見て笑っているのが嘲笑だとしても、私はオトナなので、彼女の長所を探すだけ。
 
人の扇動が上手とか、口が上手いとか。
 
全て私にはできないことだし、できないことができる人のことは尊敬している。
 
笑顔の仮面と付き合うなら、少しでも人のいい仮面と付き合いたい。
 
だって私は、オトナなので。
 
 
 
『嘘つきは泥棒の始まり』ということわざもあるけど、そんな、悪く言わないでやってよと思ってしまう。
 
嘘は良くない。もちろんそうだ。
 
けれどあくまで個人と個人の間で、自分がやってないことを自分がやったと言うとか、相手の間違った意見が意味不明でも「私はわかるけどね、」と前置きするとか、そういう嘘だってあると思う。
 
そしてそういう嘘は、酸素と同じくらい世の中に溢れている。
 
優しい大人と話すと、「今、この人腑に落ちていないけど、私のことをかばってクッションを入れてくれたんだなあ」と、感じ取ることがある。
 
『優しい嘘は、おもいやりの芽生え』だ。
 
 
 
私は嘘をつこうとするとなぜかにやけてしまう病気なので、あまり上手な嘘をつけたことがない。
 
友達のサプライズとか、めちゃめちゃ苦手。だって「ケーキ用意してるよ!」って、言いたくなっちゃうじゃん。
 
けれど何かを隠そうとしているわけではない時、とっさに、相手をかばう嘘をついている瞬間がある。
 
どう考えたって私は悪くない、と思っても、「私もこういうところが悪かったし、あなたのせいではない」と言う。
 
相手の意見が気に入らない時でも、まずはひとこと「言いたいことはすごくわかる」と言う。
 
自分のためなのか、相手のためなのか、あるいは相手を想う優しさが足りなくて、やり過ごそうとしているだけなのか。
 
本当の意味で優しいってなんだろう?と、嘘のようにまずいお弁当を食べながら、「おいしいおいしい」と考える。