思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

欲しいもの

何か欲しいけど、何が欲しいか分からない時がある。
 
「とりあえず何か買いたい!」みたいなモチベーションでふらっと電気屋さんに行って、買うつもりもなかった延長コードなんかを買ってしまうことがある。
 
延長コードやUSBならまだしも、コンビニでものすごい量のお菓子を買ってしまったり。
 
本当の意味で「無駄な出費」というか、まあ結果として生活が便利になったり、おいしいお菓子が食べられたりはするわけだけど、それでも多少の罪悪感みたいなものがある。
 
 
 
特にしたいことはないけど、とりあえずプログラミングを勉強したい!と思っている人がいる。私とかね。
 
そもそも職業柄(バイト柄?)「流石にもうちょっと理解しておきたい」と勉強し始めたものの、結局表面をなぞるだけで終わってしまうことも、何度もあった。
 
あまりにもよく起こることなのでアホなりにその理由を考えてみたけれど、考えるよりも前に、そもそも最後のゴールがないことがよくないんだと思った。
 
ちょっとでも考えればたどり着く、堂々巡りで安牌な答えに落ち着いてしまった。
 
途中まで勉強して「あれ、これ最後何したいんだっけ?」と思い出す、あの感じ。
 
電気屋さんで、虚無の中延長コードを買う、あの感じ。
 
 
 
今日、専門学校に通う友達の卒業制作を見に行った。
 
見た目の素晴らしさもさることながら、形に残るものが作れるというのは、熱量をかけた時間が目に見えるよさがあると思った。
 
私はプログラマーでもクリエイターでもデザイナーでもないので、その真意は知り得ないけれど、やっぱり自分の想像しているものを現実のものにできるのはすごいことだと思う。
 
自分の作りたい世界観があって、そのために学ぶことがあるというのは大変にうらやましい。
 
 
 
目的を据えなければ手段は無駄だとかいう冷たい話ではなくて、最後のゴールが明確であればあるほど、努力する楽しさがあると思ったわけ。
 
「一番大きな目標に向けて私には何ができるんだろう?」と置き換えてみても、やはり今の力量では想像の範疇を出ない。
 
最終形態に向けた明確な手段がある友人を見て、自分との圧倒的な差を感じた。うーん、本当にすごい。
 
尊敬やら、羨望やらで、その会場では「すごーい!」しか言えなかった。一度に2つ以上の感情を制御しようとすると、突然語彙が少なくなる。今この瞬間もそうだけどね。
 
手段とか目的とかプロセスとか、そういう難しいことは抜きにしても、想像の世界を形にできる人になりたいと思った1日でした。