思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

呪縛

Twitterを見ていたら、新聞の寄稿が目についた。

大学生初日、不美人であるがゆえにまるで存在しないかのような扱いを受ける娘へ、母が宛てた手紙のような内容だった。

なかなか拡散されていたので何度かタイムラインに出てきたのだが、何度読んでも自分のことのように悲しくて仕方ない。もはやこれは、同情とかいう薄っぺらい感想ではない。

容姿に関する他人からの寸評はある種呪いのようなもので、たとえそれが冗談めいた一言だったとしても、その呪いは一生金輪際忘れない。というか、忘れられない。

新聞の寄稿を読んでみるとその新入生は中学高校時代からそういう経験を何度かしているらしく、もうなんだか、どんな言葉をかけてあげればその呪いが解けるのかわからない。

そういう私も写真の写りが悪い自分がとても嫌いで、思い出の中にいる自分を見ても楽しかった記憶より先に心が痛んでくる。

私は写真写りは心底悪いし大して誇れた容姿ではないが、中学校も高校も女性しかいない特殊な環境に身を置いて思ったのは、「容姿による良し悪しの区別は、同性同士の社会では生まれない」ということだった。

女性しかいない不思議な環境で「数学の得意な女性はごまんといる」と知ったし(塾で数学の得意な生徒はみんな男の子だった)、「話が面白い人はどこでも人気者になれる」と改めて分かった。

得意科目の数学も、話の上手な人気者も、それまでは男性の持ち物だと思っていた。

イケてるグループとかそうじゃないグループみたいな棲み分けはたしかにあったが、そこに容姿に関する別はなかったように思う。

趣味が合うから、話が面白いから、一緒にいるだけ。

彼女のことを考えれば考えるほど、内面に焦点を当ててもらえるような場所に所属して、女性の価値が容姿だけではないことを知ってほしいと思う。

女性だからといって綺麗じゃなきゃいけないわけじゃないけど、身をもってそれを体感するにはやっぱり身を置く場所を慎重に見定めなきゃいけないわけで、でもそれだけで、少しは気が楽になるんじゃないかと思う。

早く彼女が、美醜の呪いから解放されますように。

顔も性格も知らない女性だけど、彼女のこれからが楽しくて明るいものになることを願ってやまない。