貯まる言葉を
「就活って、どれだけ自分の話しても怒られないんだよ!」と言う人がいた。自分語りが良しとされない風潮の中、確かに、ある種特殊な状況なのかもしれない。これはすでに就活を何年か前に終えた人が、当時を振り返りそう思う、という話。確かに、納得である。
これまでその特殊さに気づけなかった理由を考えると、私はそもそも自分の話をするのが好きなので、どんな状況下であれ自分の話をペラペラしていたかららしい。
自分のどうでもいい話なら、息継ぎする間ももったいないくらい永遠に話していられる。
消耗品だから、出し惜しみするものでもない。
言葉には、消耗品の言葉とそれ以外の言葉があると思う。
後者をあまりに出し惜しみしてしまうので、ずっしりした会話を上手にできた試しがない。
思っていることを包み隠さず言うのは難しくて、特に、面と向かって人に本音を言うのは本当に難しい。いいことでも、わるいことでも。
この人はこういうところがいいなあと思っても、全身全霊その事実を伝えようとすると、ありきたりで陳腐な言葉に終始してしまう。
本当のことを本当の顔で言うのが照れ臭いのもあるけれど、何よりも、いちばん似合う言葉を探すのに時間がかかりすぎる。
その場しのぎの言葉が相手の要求を満たしたことなんて数えるほどもないし、1回でもあったならそれは最初で最後の奇跡なのかもしれない。
大切な人との大切な話を丁重に扱いすぎて、自分の語彙力のなさに辟易する。
時間をかけられるなら、そりゃ誰でもいいこと言えるはずさ。
問題なのは、会話の中ですぐに引き出せるものの数なのさ。
しまっておける容量は人並みだけれど、タンスの奥底に眠って働かないヤツらが多すぎる。
誰に対しても、誰でもそうだと思うけど、「こんなにあなたが好きだ!」と言っても、私の気持ちは少しも伝わっていないんじゃないかと思うことがある。
どんなに彼/彼女が素晴らしくて才能溢れる人なのか、考えつく限り最高の言葉で伝えようとしても、どう足掻いても伝わらないんじゃないかと諦めそうになることがある。
言い方によっては、ともすれば、相手の自尊心を傷つけてしまうかもしれない。
そもそも、私からそんな言葉をかけられる筋合いなんてないと思われているかもしれない。
相手が私のことをどう思っているかによって、私が考えついた最高の言葉すら、最低最悪の結果を招いてしまうのかもしれない。
こういう、自分が本当に伝えたいことができた時のために、他人からの信頼を得ておきたいとすら思ってしまう。言葉の強さは、信頼の有無で全く別物になる。
同じものを見て同じように受け取る人が一人もいないように、相手の立場から「この言葉は嬉しいか」「この言葉でわかってくれるのか」などなど考えて発言しようとすると、やっぱり、話し言葉では時間も語彙も足りないらしい。
電車の乗り換えを待つ時間、カフェで注文を待つ時間、エレベーターで相手が降りるまでの時間。
どれだけ短い時間でも、深く、価値ある言葉を運べるようになりたい。たぶん、訓練あるのみなんだと思う。