思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

言葉の前に

人に、もののよさを伝えるのはとても難しい。
 
たとえば「オススメのゲームの面白さを伝えてほしい」と言われても、その場では、「もうめちゃめちゃ、本当に、ものすごく最高だった」とか言ってしまう。語彙力〜
 
 
 
面白かったことをまじめに、何がよかったのか思い出そうとしないと、言葉を選ぶところまでたどり着けない。
 
書き言葉であれば書いて直してまた書いて、時間をかけて修正できるから、自分の都合でその良さを伝えることができる。
 
けれど相手の時間を受け取っては返す話し言葉では、相手を待たせるのがどうしても申し訳なくて、簡単で安易なものでその場をしのごうとしてしまう。
 
その場で体裁のいい美辞麗句を並べるのは、嘘を言っているような後ろめたさがあって、あまり好きになれない。
 
 
 
今日は、久しぶりに友達と、映画館で映画を見てきた。
 
数えてみたら、家族以外の人と映画を見たのは3年ぶりになるらしい。
 
普段は一人で映画館に行くことが多いので、終わったあとはいつもの帰り道となんら変わらない。
 
あのシーンが良かったとか、悪かったとか、感動したとか、一人悶々と考えながら、家まで帰る。
 
 
 
でも今回は一人じゃなかったので、「これがよかったね」「あれがよかったよ」という話ができる、はずだった。
 
けれど実際に話そうとしてみると、なかなかうまく言葉が出てこない。
 
本当は映画が終わった瞬間からものすごい満足感があったのに、なかなかピッタリな言葉が出てこないのだ。
 
「ああ、よかったね、本当に」ばかり言ってしまう。
 
このシーンがよかった、あのシーンがよかったと思っても、じゃあその何がよかったんだろうと考えだすと相手の時間を奪ってしまう気がして、「よかったね」と一言言ってしまう。
 
こうして一人になってから色々思い返してみると、こういう理由でここがよかったと考えがまとまることもたくさんあるのに、なんだかもったいない。
 
 
 
その良さを伝えるには、相手が好みそうな部分を選りすぐって伝える必要があるけれど、そのためにはそれをいろんな場所から観察する必要がある。
 
つまり、人にものごとの良さを伝えるのが上手な人は、その対象をいろんな角度から見られる人なんだと思う。
 
そういう人は、たくさんの切り口からいくつかを選んで、相手の感性に直接訴えかける言葉を選ぶのが上手。
 
観点が少ないのに良さを伝えようとすると、どうしても褒め言葉が上滑りしてしまって難しい。
 
訓練の賜物なんだろうなぁ、と、彼ら彼女らを見て、尊敬の念が絶えることはない。