思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

伝え上手

さっきまでイヤホンでBGMを聞いていたのだけれど、どうにもうるさくて音楽を止めてしまった。
 
テレビに映したYouTubeで毎日のように流していた音楽だったので、私の中では「ベストBGM」だと思っていた音楽なのに。なんだか裏切られてしまった気分だ。
 
あの曲なら集中できると思ってたのになー。
 
考えるまでもなく、決定的な違いはその聞き方だった。イヤホンで聞くか、テレビで流しているか。
 
テレビで音楽のMVを常に流している状態だと動画に気を取られてしまって集中できなくなるんじゃないかと思っていたが、実際のところ、この仮説はどうやら違うらしい。
 
 
 
イヤホンで作業用のBGMを聴くときと、テレビから流れる音楽をBGMにするとき、その心持ちは全く違っている。
 
たとえ同じ曲を聴いていたとしても、イヤホンの音は自分だけに聞こえてくるからか(音楽なのに)無言の圧力を感じてしまう。
 
逆にテレビから流れてくる音楽は街の巨大なスクリーンから流れてくる広告と同じで、私を含めた大勢に向けて話しかけているからか、「こちらを見て!」という意思が感じられない。
 
私はどちらかというと、テレビや街の巨大スクリーンから流れてくる、垂れ流しになっている音楽のチープさが好きだ。
 
 
 
音楽そのものに関してはそれでいいのかもしれないが、私は、こういう小さなことから自分に置き換えて考える、不要な真面目さがあるらしい。
 
前に立って話す中で、一人ひとりの顔を思い浮かべている時と、ぼんやりした大勢を思い浮かべている時とで、口をつい出てくる言葉に明確な差が出ることに気づいた。
 
これは、イヤホンの音楽と街中の音楽の違いに置き換えられるんじゃないかと思う。
 
 
 
人前に立って話すとき、大勢に向けて話すという意識を持っていればそれは相手からも察知されてしまうが、誰か一人を想像して話すことができるのであれば、そのメッセージは彼/彼女に伝わるんじゃないかと思う。
 
私はプレゼン用の資料を作ったり改造したりするのが大好きなのだけれど、それは単純に見た目が綺麗になる過程が好きなだけではなくて、資料を丁寧に作ることで自分の中の思考が整理されて、本当に自分が伝えたいことが次第に洗練されていく過程が好きなのかもしれない。
 
頭の中がスッキリして、自然と話す内容が限られてくる。すると伝えたい相手の顔が見えてくる。たくさん思い浮かぶようなら、本末転倒なんだけどね。
 
 
 
伝わることと伝えることは全く違うし、伝えたことを聞いてもらうことはもっと難しい。
 
伝えるのは私の意思だが、聞くのは相手の意思だから。
 
目の前にいる大勢と一度に信頼関係を築くなんて到底無理だから、まずは一人ずつ、イヤホンから流れる音楽のように彼らに話しかけてみることが大事なのかもしれない。