世界観
音楽には二種類あると思う。
ひとつは、音に歌詞が引っ張られる音楽。もうひとつは、歌詞に音が引っ張られる音楽だ。
BGMにできる邦楽はテンポの良さやリズム感に魅力があって、どちらかというと前者。
BGMにしていたはずが気づけば音楽に聴き入ってしまった、というパターンは、歌詞が大きく、音が小さく聴こえてくるので、後者になると思う。
歌詞に音が引っ張られる音楽を聴いていると、その繊細さに信じられないほど感動する時がある。
音楽は音を楽しむと書くけれど、歌詞だって大切な要素のひとつだと思う。
何年か前に大学の友達とカラオケに行った時、友達は「イノチミジカシコイセヨオトメ」という歌を歌っていた。
7年も前に発表された、クリープハイプの曲だ。
あとで知ったことだけれど、実は彼女は、クリープハイプの大ファンだったらしい。
けれど別人の声でこの歌を聞いた時、歌詞の悲壮感が何のフィルターも通さず聴こえててきて、なんと、よいことか!と。
普通になりたいのに、普通になれない。人間誰しも持っているこの葛藤をあえて身体で稼ぐ女性に投影するのは、挑戦的なようで、案外理にかなっているのかもしれないと思った。
自分の理想とかけ離れた自分への不安は、程度の差こそあれ、誰もが感じうることだ。
この歌は、揶揄されているような、水商売の女へのレクイエムではないと思った。
まあ、感性は人それぞれだと思うけれど。
大学生活で数えるほどしか行っていないカラオケでこの曲に巡り合えて、しかも一緒にいたのが歌の上手な友達だったことは、ものすごくラッキーだったなあと思う。
今でも早朝の電車に乗る日や、元気を出さないといけない日には、無意識にこの歌を聞いてしまう。
理想と現実、大きな溝の中にいても、いつかどこかで変われるんじゃないかという希望的観測を捨てきれずにいる。
今では、彼の歌声に対する抵抗感もすっかりなくなった。
「若者から絶大な支持を…」とかいう解説で登場するバンドマンが、自分より年下なことも増えてきた。
今はなんとか「若者」の島に片足だけは入れられている(と思う)けれど、あと2年もすれば、正直難しいと思う。
ひとつの音楽を聞いてその魅力を悶々と考える時間も余裕も、きっとなくなるだろう。
今の自分がステキだと思ったこと、スバラシイと感動したことは、未来の自分へのメモ書きを残しておきたい。
今は思っていなくても、もしかすると、人の心を動かす作詞家を目指すかもしれないし、ね。