思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

あまい良薬

私の高校時代の友達の中には、「家業を継ぐため」という理由で医者を目指す娘さんが何人かいた。
 
彼女たちはもう本当に、責任感と頭脳を兼ね備えた素晴らしい女性で、これから先、きっと素敵なお医者さんになるんだと思う。
 
そんな彼女たちを横目に私立文系受験のためたった三科目をひたすら勉強していた私は、「こんなに頑張っている人たちが近くにいるのに、私だけ怠けることはできない」と思っていた。高校三年生の冬だ。
 
 
 
同じような気持ちになった経験は、程度の差こそあれ、あの時と、今くらいなものだと思う。
 
能ある友人に囲まれて、自分だけが怠けてはいけないと毎日思う(実際には何時間もゲームをしてしまって自己嫌悪に苛まれるのだけれど)。
 
 
 
当時と今を比べてみて思うのは、自分が自分に甘くなったという変化だ。
 
高校三年生の私はストイックで、毎日決めたことを欠かさずしても、それでも自分は人より劣っているのだから、努力しないと「普通」にはなれないと思っていた。
 
今と昔を比べてみれば、当然、今の方楽しくてラクチンだと思う。
 
でもそれは自分を甘やかして自分のやりたいことをやっているから、というよりも、自分への期待値をいい意味で下げることができたからだと思う。
 
自分ができることをできる範囲でできたなら、なにはともあれ、自分で褒める。
 
一見ぬるま湯ズブズブ状態だけれど、他人が大して褒めてくれないのなら、自己肯定感を上げるにはこれ以上ない良薬なんじゃないかと思う。
 
しかも甘い。
 
 
 
「甘やす」ことは、非難されすぎるんじゃないかと思う。
 
自分に厳しい人ほどよい、その分、他人に優しいほどよい。
 
本当にそうなのかしら。
 
自分にストイックにするのはある種プラシーボ効果みたいなもので、「自分に厳しい自分は素晴らしいはずだ」と思い込ませているだけなんじゃないのかしらと思う。
 
じぶんでじぶんを褒めないと誰も褒めてはくれないのなら、ワタシ1人くらい味方になってやってもいいじゃないか、と思うわけだ。
 
ところが最近は優しい人に囲まれて生活させてもらっているおかげで、周りも、自分も、自分にやさしい環境にしていただいておる。
 
これは良いことなのか、はたまた。
 
ありがたいこの状況に感謝するとともに、自分のためのボルトを締め直さなくては、と心に留めておく。