たのしむごはん
食に無頓着になると、「そろそろまずいぞ」のメーターが動きだす。
家での食事は常に無頓着なので、料理の工程がなるべく少ない食事で済またいし、できれば、買ったものがそのまま食卓に並べられたら、と思ってしまう。
一方家の外 でご飯を食べる時には、なるべく食べログの評価が高くて、周辺への聞き込みで高評価なお店を探す。
少し遠くても、少しなら頑張る。
せっかく家の外で食事をするのなら、ちょっとでいいから特別なものが食べたいというのは、元来自然なことだと思う。
家では作らないトンカツとか、家で焼いてもなぜか魅力的に映らないステーキとか、その程度の「ちょっと」でいい。
ところが最近の食への無頓着ぶりはこういう外食にも発揮されてきていて、まさに、「そろそろまずいぞ」という状態にある。
ほんとうに、最近のことだ。
自分一人で外食する時もそうだが、それ以上に、人と外食する時の特別さと言ったらない。
一人の時にはちょっとの違いで十分だが、二人でいるならたくさん、三人以上なら大げさな贅沢をしたい。
だって、一人じゃないんだから!
だれかとなにかを食べるときは、その食事に対して、というよりも、彼/彼女と過ごす時間そのものにお金を払っていると感じる。
だからたとえ食事がほとんど出ないパーティールームの代金でお金を払っても、その人たちと過ごす時間が楽しいならそれでいいじゃないか、と思う。
レストランに行っても「食事のためにお金を払っている」という実感がないからか、クリスマスのおしゃれなディナーも、お誕生日の三ッ星レストランも、あまり魅力的に映らない。美味しいものを食べるのは嬉しいが、それよりも「あなたと過ごせてハッピーだワ」と思ってしまう。
その人との時間が手に入るなら、それを飾り立てるアクセサリーはさほど重要じゃない。
私が対価を支払っているのは、目の前にいる相手と過ごす時間そのものだから。
最近食事をおろそかにしているのは、意図せず一人で食事することが増えた、というのも大きな理由かもしれない。
楽しむための食事ではなくて、生きるための食事になっている。
それ以上に、栄養バランスなんて気にも留めないような食事ばかりだからか、四六時中お腹が空いた、空腹オバケ状態だ。
そろそろ、楽しむための食事を挟まなくては。
おいしいごはんで飾り立てた、楽しい時間を過ごしたい。