思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

送信ボタン

半年ぶりに第二の家に帰るのだが、友達へ「会おうよ!」と連絡する手がどうにもうまく動かない。
 
仲のいい人たちの顔を思い浮かべては、「この人は忙しそうだから」とか、「この人は最近彼氏ができたみたいだから」と勝手な謙遜をしてしまう。
 
要は、どこからどう攻め込めばいいのか決めあぐねている。
 
 
 
短い時間でも折角帰るなら、より多くの人に会いたいとは思う。
 
けど、こちらの都合で時間の制限があることも踏まえると、連絡するのも申し訳無くなってしまう瞬間があるわけだ。正直、待ち合わせして、落ち合って、最初の興奮が過ぎ去った30分後も会話が続けられるんだろうかという不安がないわけでもない。
 
全てをまとめて送るには、どんな文章にして送ろうとか、そもそもお誘い申すこと自体が迷惑じゃないかとか、とかとか、色々考えてしまう。
 
もちろん、本当にみんな忙しいだろうし。
 
 
 
こうして送信ボタンを押すにも二の足を踏むような仲になってしまった彼女たちも、かつては毎日同じ教室で顔を合わせていた同級生だったことを思い出す。
 
信じられないほど仲が良くて、どんなにしょうもない話でも真剣に聞いてくれたことを思い出す。
 
「この人となら一生友達で居られるかもしれない」と信じて疑わなかったことを、思い出す。
 
やっぱり、物理的な距離と心理的な距離は比例するという話は本当で、上京する前とした後とでは友人との関わり方が大きく変わっていった。
 
新しい人ともたくさん会って、世界が広がるからという説もある。自分が隅々まで知っていた世界の狭さを知り、かつての洞穴に住んでいた人たちを頭の片隅に、新しい世界を開拓しているに違いない。
 
 
 
今信じられないほど仲良くしている人たちも、周りを取り巻く環境が大きく変わればその性格や心境が変わることもあるかもしれない(むしろ何も変わらないことの方があり得ないくらい)。
 
それでもやっぱり、未来がわからないからこそ高望みをしてしまう。
 
友達が言ったくだらない冗談に大勢が湧いた話や、半年前に買ったゲームがいまだにクリアできない話や、スーパーで買ったケーキが思いの外美味しかった話や、そんなこの上なく貴重でどうでもいい話を気兼ねなく送れる関係が、このまま続けばいいと思う。
 
送信ボタンを押す親指が寸止めにならないような、気兼ねない関係がいつまでも続けばいいと思う。
 
あくまで高望みかもしれないけれど、その望みにかけてみたいと思える人に会えたのは、本当にただ運がよかったというより他ない。