思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

終わりよければ

家でSNSやなんかを見ている間、なんとなく良さそうな映画を手当たり次第に流すことにしてみた。
 
意識せず聞こえてくる日本語は意味のない音の羅列に過ぎず、時には作業にちょうどいい音楽になり得る。当たり障りない言葉は、ただのBGMなのだ。
 
実はこれまでも、展開の難しいアニメをBGM代わりにする習慣はあった。
 
やってみてわかることだけど、「無難な邦画」でそれを実現するのはちょっと難しいらしい。
 
 
 
こういう映画は造語が少ない分セリフがわかりやすいし、人に受け入れられやすいストーリーにも(BGMとしては)不本意ながら引き込まれてしまう。
 
結果として、ただ映画鑑賞することになってしまった。まあ何かに急かされていたわけではないし、別にいいか。という感じ。
 
今日のBGM(結果としてならなかったけれど)は『箱入り息子の恋』という映画だ。星野源が今ほどポピュラーではなかった時に公開された、星野源主演の映画。とっても平たく言えば、ものすごく内気な主人公が、盲目の美女と恋する話。
 
主人公の表情が恋愛を通じて豊かになっていく様が綺麗で、見ていても楽しかった。あれほど鮮明に変化のわかる恋愛というのは元来ほとんどなくて、恋愛映画フィルターが強く働いているんだろうなと思った。理想を色濃く写すCanonのレンズに近しいものを感じる。
 
 
 
「BGMにするつもりが引き込まれてしまった」と言ったものの、その結果として得られたのは、ラストシーンの突拍子もないハプニングと、悪い意味で予想を裏切る結末だけだった。
映像も綺麗で、ストーリーも面白かったのに、積み上げてきた全てのブロックがパンチで壊されるあの感じ。なんとも悔しい時間の取られ方だった。もっと色々やり方はあっただろうに。
 
 
 
第一印象の良さを生かしきれないラストシーンは本当にもったいなくて、逆にきちんと映画を観ていてよかったとまで思わされた。
 
人間は第一印象が9割と言う人もいるけれど、正直今日の映画の後味の悪さを思い出すと、終わりよければなんとやら、という言葉の方が的を得ている。終わりの綺麗さ、納得感で、全てが決まると思った。
 
最初の方の動機だったり、フレッシュさみたいなのは賞味期限が短すぎる。そしてこれはきっと、BGMでも、映画でも、そして人間関係でも同じことが言えるんだろうなと。
 
別の場所での学びを人間関係に生かそうとするのは本当に常套手段だけれど、ほどほどにね。