五体満足
雨の日は、家の中が広くなったような感じがする。外で降りしきる雨の音が、部屋の中で反響するからかもしれない。
家の中には相変わらず何もないけれど、たとえば小説を読むとか、普段は見ない映画を流してみるとか、気持ちの上で広くなった部屋を口実に、新しいことに手を出すハードルが下がっているような感じがする。
当の私は、久しぶりに雨の雨がこの部屋を拡張してくれたはずなのに、どこか所在ない座り方をしてしまう。
このだだっ広い部屋の中で私は眠ったり起きたりテレビを見たりするのだけれど、長い長い休み時間ということもあって、なんだか今の自分の顔のままでいいんだろうかと思ったりする。
顔っていうのはもちろん整形とかではなくて、こういう無表情で過ごす時間を、多く手元に置いておいていいのだろうかという。
自分がこうして疑問を呈している時点で、その問いの答えは出ているわけだけれど。
新しいことに食指が動かなくなったのは、いつからなんだろう。
雨音で広がった部屋の中でも、私の腕は半径100cm足らずの世界で全てを解決しようとする。
快適な空間の中で、必要以上に伸ばされることを望まない腕と比例して、脚は次第に、折りたたまれたままでいようと横着になる。
この1年間はきっと、私にとって最も空白が長く、自分のために使える最後の猶予になるんだろうという予感がしている。予感というよりむしろ、ただの実感であり事実なのかもしれない。
時間をかけて初めて手に入るものをかき集めて、蓄え使うための時間なんだと思う。
ともあれ、他人の恋模様になんやかんやと口を出したりしている場合ではないわけだ。
昨日観た映画の中で、"I decide who I am"というセリフがあった。
このセリフを聴いた時、「今日この2時間のうち、この言葉だけは絶対に覚えておこう」と思った。
さまざまな人やものごとに支えられ立っていることは、わすれないように。
独立心の強さだけがやけに鼻について、身と心が離れてしまわように。