思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

重たい自意識

エッセイを読んでいて、「昔自意識に関する話ばかり書くブログを更新していたら、『人から厨二病だねと言われた』」という一節があった。
 
いやこれ、まんまに私のことじゃないですか。
 
ヒヤヒヤしながら読み進めているうち、次第にそのエッセイだって厨二病の片鱗をちらちらと見せていることに気づいた。
 
ちょっと人から指摘されたくらいでは、人間根本の部分はそんな簡単に変わらんものだなと思う反面、果たしてこの厨二病的自意識は指摘されるべき部分なんだろうか?
 
 
 
かくいう私もこの自意識の話ばかりをつらつら述べていて、全く、自己完結も甚だしいと自嘲する時がある。
 
そういう時の言い訳は、「誰しも心の底で考えているに違いないこの自意識を、ただ考えていますよと言うのは悪いんだろうか?」という問い。
 
いつでも決まってこの問いに終始する一方、「悪くはないが、快くはない」という答えも毎回同じ。
 
自分のことばかり考えるやつは結局その世界が自分の中にしかないから、話していて面白くないというのはあり得る。そういう点で、「快いものではない」のかもしれないというわけ。
 
 
 
とはいえ人は少なからず自意識について考える時期が(その期間は人それぞれでも必ず)訪れるわけで、それを公表したことに対して「厨二病だね(笑)」みたいな風潮は一体誰のため?と思ったり。
 
私も厨二病のかけらは見え隠れ(隠すどころかめちゃめちゃに表立って現れていると思うけど)しているけれど、誰もが考えているそれを隠しておかなきゃ!みたいなのも不思議だと思ったり。
 
みんなが考えているからこそ、「俺は考えてるんだぜ!」の主張がうるさいのかな。
 
それはうん、納得。
 
ただこれ、意識高い族を鼻で笑うあの感じとすごく似ているような感じがして、より一層、眉間に深いシワが寄る。
 
考えることと、頑張ること、どちらもそれぞれ、嗤う言葉があるのはあまり好ましい文化ではないような気持ちが湧いてくる。
 
 
 
初対面の人とは「金、宗教、政治」の3つは話題にしてはいけないらしい。
 
どれも納得だけれど、多くの人が面白がらないのなら、自意識に関しても言及してもらいたい。
 
それを十二分にわかった上で、少なくとも私は、重たい自意識の味方でありたいと思った。