思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

映画の中で

映画を観てきた。「今更それ見る?」と言われるような、もうすぐ上映終了しそうな映画だ。
 
実家の両親があまりにハマっているものだから、じゃあ私も観てみようかしらと思ったわけ。どうせならいい音響で見たくて、朝早く、すこし遠出する必要があったけれど。
 
 
 
なんの本だったかな、「自分を愛せない人は他人を愛することはできない」と、昔読んだ読み物に書いてあった。
 
当時の私は自己肯定感爆下げ女だったので、正直なところ「いやいやそれは強者の意見では」と思っていた。
 
自分の足りない部分に気づけるからこそ、人の良いところにより敏感に反応することができると思っていた。
 
思っているだけではなくて、自分なりにそう行動するよう心がけていた。
 
実際のところそう行動していた一方、人のよさを探すことで自分の善い部分を拡張したいという下心のあるものだった。今でこそ本当の意味で人の明るい部分に目を向けるゆとりが生まれたものの、今でもその片鱗がのぞくときがある。
 
 
 
人から善い人に思われたいその一心で、書き言葉の一言ひとことにまで気を配る自分を、正直ばかばかしいと思うこともある。
 
けれど、こういうところで必要以上に気を使うのは、自分が悪いヤツだというレッテルを貼られたくないというのはもちろん、人を傷つけることで自分が傷つくのが怖いという恐怖心もある。
 
なんでもかんでもコワイコワイ。目に見えないものを怖がるアレは、放射線と同じだね。
 
 
 
今日見た映画の主人公は、自分が好きで好きで仕方ない部分と、自分があまりに嫌いで反吐が出そうな部分、10分おきくらいに顔を出してきて、本当にきっと辛いんだろうと思った。
 
そしてその波がぐらぐら揺れる時、彼は薬に手を出していて、まあそうなるよなと。
 
物語の最後には本当に愛すべき人を探し出し、あるべき愛の形に収束していたけれど。
 
あるべき愛の形とは、さて一体。
 
 
 
そしてここまで思い出して、あらあの言葉、そういえば私の友達が言っていたことだったかしら、と思い出す。
 
当時の自分から見えていた彼女の像と、今の自分から見える彼女の像、同じものでも全く違うように見えるだろうということは、全く、想像に難くない。
 
素晴らしいものに囲まれていた自分が、くすんだまなこで無駄にした素材、果たしていくつあるんだろう。