生活習慣
週末はアラームが鳴る前に勝手に目が覚める。
割合早い時間だけど、前の晩に遅くまで起きていてもそれなりに起きられる。
「明日は絶対何時に起きる」と口で唱えてからだと、なおさら目覚めやすい。
この間見たテレビで、こういう眠りは浅くて質が悪いと聞いたことがあるけれど、何はともあれ起きなきゃいけない状況でとりあえず身体を休めることができるなら、質より量という話になってくるんじゃないかと思った。
今日もその類だ。
何年か前からいつのまにか習慣になっていた週末朝のかたちだったけれど、ここまでくるともはや体質の一つになっていて、これから先、早起きする必要のない週末が来たとしても自然に目が覚めてしまうんじゃないかと思う。
習慣というより体質、というのは我ながらしっくりくる。
習慣が体質になったと自覚してしまえばそれはもう本物なのだけれど、物覚えの悪い私の体感では、そこまでにかかる時間を2年は見積もっておいたほうがいいらしい。
毎日、毎週、意識するでもなくやっていたことが体質になるのなら、たとえば毎朝新聞を読む私の父親とか、1日に何冊も本を読むオジイチャンとか、そういうのも体質の1つの形と言っていいのかもしれない。
けれどふと気を抜いたり、生活リズムが変わったりすればころっと元に戻ってしまう脆い「体質」であることも本当のところだ。
せっかく体質になった週末早起きの習慣がいつか生活リズムの変化でなくなってしまうのは、嬉しいような、悲しいような気がする。
環境が変わること自体はきっと目まぐるしい変化についていくのがやっとだが、週末、自分の体内時計の変化でもって「全く違うところに来てしまった」と気づく瞬間は、想像するだけで切なくなってしまう。
今でこそ体に鞭打ちつつも無理なく早起きできるようになったけど、自分の体質でもっても「今のままでいたい」と思ってしまうのは、あまりに自己中心的すぎるのかしら。
だってなんか、寂しいじゃん。ね?