思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

似た者同士

日付の十の位が2に変わると、そろそろ今月も終わりだなという気がしてくる。
 
今日は3月20日
 
レミオロメンの名曲が歌う卒業の日はとうに過ぎて、多くの友人もまた、卒業の節目を迎えたらしい。
 
私としても、4月からは新学期が始まるということで神妙な面持ちにならないこともない。
 
今月も早かったな、この間年が明けたばかりだと思っていたら、今年の残りはもう10ヶ月もないのかと不思議な気分だ。
 
 
 
春の訪れを感じる節目だからというわけではないが、こういう時、やり残したことへの後悔ばかりがいくらでも湧いてくる。
 
「人生の最後、やり残したことがないと思える人生が幸せだ」という言説はあながち嘘ではない反面、そんな人生設計実在するのかという疑問が湧いては消えてゆく。
 
ポジティブなこともたくさんあったはずなのに、どうしてもネガティブな面にばかり目が向いてしまうので困る。月の終わりが近づくにつれて、ネガティブな振り返りもまた加速度的に増えていく。
 
 
さて、終電間近のマクドナルドは、危険が渦巻く繁華街の中でももっとも健全かツナ安全な場所のような顔をしていて、補導されかねない年頃の若者が集いに集っている様相を見せたりする。
 
去年の春先、飲み会終わりの名残惜しさにマクドナルドでアイスコーヒーを飲んでいるとき、ふとそう思った。
 
同じように飲み会終わりの残党らしき男女がダラダラ時間を潰す様子になぜか資本主義を感じて、これが経済か〜と思ったりもした(今になっては本当に意味がわからないけれど)。
 
若い人が気軽に来れる価格帯と、深夜まで営業している安心感と、それなりにお腹いっぱい食べられる場所と。
 
いろんな要素が合わさって、お金のない学生でもそれなりに時間が潰せる場所になっているらしい。
 
平日深夜まで遊べるのは大学生くらいなものだから、自然と、同じような年代の人が集まる店内になっていて面白かった。
 
 
 
ひと月の終わりになると惰性を振り絞って一ヶ月を振り返ってみるのと同じで、飲み会の終わりもまた、名残惜しさが無駄な反抗心を生んで、人々を終電間際のマクドナルドに呼び寄せるのかもしれない。
 
どちらも根底にあるのはひたすらに根深い怠惰な気分で、もうすぐ始まる新しいひと月や、数時間後に控えた一限にグダグダと愚痴をこぼしたりする。
 
ひと月の終わりに訪れるあの感じと、深夜のマクドナルドに渦巻く倦怠感は似た者同士だと思った。
 
 
 
マックのハンバーガーを夕食にしても、あまり罪悪感を感じなくなったのはいつからだろう。
 
比較的健康な家庭に恵まれていたと思うけれど、自分の生活習慣は、良くも悪くもすぐに変えられるらしい。
 
何かが変わるわけでもない明日に向けて、今日もよく眠れますように。せめてもの早寝早起き。