無意識の感情について
慣れないことを立て続けにしていことと、いつも通りのルーティンワークを消化しようとすることの狭間に立っている。
どちらからも割合強い引力で引かれているから、引っ張られるちからで疲労が増幅していると思う。
本当に日記みたいになるけど、人を心配にさせる疲れ方はよくないと思った。
口に出さなければ十分いいんだけども、そういうのはイヤでも現れてしまう。たとえば表情だったり仕草だったり。
無意識の感情はできれば隠しておきたい。
疲労感みたいな悪い意味での「無意識」が自然と出てしまうのはできれば避けたいけれど、人への好意が自然と現れているのを見ると、なんだか無性に穏やかな気持ちになってしまう。
大事にしているとかされているとか、信頼しているとかされているとか、そういう安全欲求に関わる部分だと、人は案外敏感に感じ取ることができる。
逆に相手が恐々こちらに接しているのであれば、それも目元を見ればよくわかる。
特に子どもと話しているときそれは顕著で、相手が自分のことをどう見ているのか分かりやすいし(隠す術を知らないから)、相手もまた、わたしの接し方をよく見ている。
毎回毎回、彼らの目は騙せないなと思う。
けれど彼らのそういう表情は単なる無意識の現れだと思うから、だからこそ、嫌味がなくて穏やかな気持ちになるんだと思う。
私も、人を穏やかにする無意識なら積極的に表したいと思った。
まあそれは表したいとか言った瞬間から無意識ではなくなるから本末転倒なのだけれど、変にポーカーフェイスを気取る必要もないと思ったわけだ。
その分ネガティブな無意識が外に出ないように、電車の遅延とか車の水はねとか、そういう些細なことで怒るようになったらちゃんと休むようにしようと思った。
急な変化は、身体に悪い。