冷や水
今後関わらざるを得ない人、例えばインターンのメッセージグループを見たとき、「全力で頑張ります!」みたいなコメントが羅列されることがある。
意欲があるのは大変結構なことだけれど、異常な角度でひねくれたわたしからすると「何も成果を出していないうちから口だけ達者だと、あとあと自分の首を絞めかねない」なんて思ってしまう。
だからそういう自己紹介みたいな局面においてはあるべく当たり障りない(しかしやる気はあります!とアピールできる)言葉を探して送信するのだが、そういう時の自分のズルさは凄まじいことだなとも思う。
一方で自分がすごく頑張っていることとか、ありがたいことに信頼されていると自信が持てる場面では馬鹿みたいに熱いこともいたって真剣な顔で言えたりして、「あの時の自分と今の自分と、全く違う人が操ってるんじゃないか」と疑ったりもする。
多分それらの温度の決定的な差は、「自分がこの場を作っている」「雰囲気を支配している」という意識の有無なんじゃないかと思う。
「支配している」というのはあくまで雰囲気のことで、自分の発言一つひとつの影響がその場の隅々まで行きわたりかねない、という可能性そのものを言っている。
支配という言葉が正しいかは分からないが、感覚としては正しいと思う。
「自分がこの場を作っている」という当事者意識が五感の感度を上げると思うから、馬鹿みたいに熱いことを言ったとしてもそれが本当に思ったことだという自信を持っていれば全く臆することなく言えてしまう。
一方でまだ何も成果を出していない新参者のコミュニティでは、自分が作った雰囲気も何もないわけだから口先だけのコメントをするのが憚られる。臆病なだけかもしれないけれど。
たまに、どんな場面でも強く自分を出せる人に出会う。羨ましいと思う反面、一体その自信はどこから湧き出るのか疑問に思うこともある。
アツアツの石にあえて冷や水を掛ける必要はないんだから、自分だってちょっとは、どんな場面でも強く踏ん張れたらいいんだけどね。
いつだって隣の芝は青く見える。