思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

変化の兆し

Facebookで繋がっているだけ、くらいの知り合いが、どうやら最近、仕事を辞めたらしい。

そういう知り合いだからまあそれらしい理由もつらつら投稿していたが、なるほどね、という感じ。要するに「今の仕事に飽きた」ということだった。

私は社会に出て働いたことがないからその感覚を完全に理解できるわけではないが、与えられた仕事をこなせばそれなりのお給料がもらえる会社にいながらその選択をすることのリスクくらいはわかる。

大きな決断だったんだと思うが、投稿に添えられた写真には、顔を見たことがあるようなないような人の、清々しい顔が写っていた。

この人、いつ知り合ったんだろう?

彼の投稿に触発されたわけではないけど、最近の私のホットトピックは「変化」だ。

多くの変化を眼前でみるこの季節、人の信念はそれぞれあるという大前提を踏まえた上でもやっぱり、「何かを変えないと何も得られないことの方が多い」と思い始めている。

たとえば一緒にいる人を変える、新たな習い事に挑戦する、古い持ち物を捨てる、部屋を引っ越す、とか。

何かを得るというのは必ずしも「獲得する」という意味だけではなくて、何かを捨てることで得られる開放感だったり、(あまり経験したいものではないけど)死別による感情の揺れ動きだったり、そういうものもまた得るもののひとつと言えるんじゃないかと思う。

私が最近得たものはいかに慣れた環境に甘んじていたかという自覚で、それは前に書いた話とは違うベクトルだったりする。

内に向かって「違うことに挑戦するのは難しいなあ」と思うこともあれば、外に向かって「今までは上手くいってたのになあ」と思うこともある。

就活は人生の岐路に立たされるイベントのひとつだけど、今だってそれと同じくらい、自分の脆弱さを感じている。そんな深刻で大きな問題ではないけれど、それでもなんというか、「びっくり」という言葉がちょうどいい。

そうだ、変化への対応が恐竜くらい遅くなってしまったことに、我ながらびっくりしているんだと思う。

1ヶ月もすれば、きっとこのびっくり感も薄れて、なんら変わらない日常になるんだと思う。

慣れるまでの辛抱とは思わない。

今自分が思っているこの違和感みたいなものを、ずっと忘れないようにしようとだけ思う。

またこの感覚に再会したとき、引き出しの中からさらっとこいつを出してやれば、今みたいな焦りも少しは和らぐと思う。