思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

自己責任

生活習慣とはかなしいもので、貧しい食生活が一気に改善されたらされたで、体がその変化についていけなくなることがある。そう、今みたいに。
 
貧相な食事で縮小の一途をたどっていたはずが、規則正しい三食の食事によって無理やり拡張されようとしているらしい。細胞の限界を感じる。
 
悪いことでは決してなくて、ひとえに、自分の惰性が招いた悲劇といっても過言ではない。
 
 
 
毎日何かを続けることで、自分への信頼を貯金すると同時に、貯金している信頼の脆さにも気づかされる。体調が悪いとか、何か予定があるとか、そういうなんらかの理由があった時には、この貯金はどう切り崩されてしまうんだろう。
 
対自分の信頼貯金を担保するために対他者への信頼貯金を犠牲にするのか、その逆にするのか、些細なことでもそんな決断が迫られる。
 
今日の私は冷静に何かを考えられる状態にはないので、さて今日はこれ如何に。これじゃあ体温計の写真をSNSにあげるアレと同じだなあ〜
 
 
 
1日でも間が開くと、続きから再開するのが億劫になってしまうと知っているから、どんな形でも続けることに目的を見出そうとする。不本意な終わりほど恨めしいものはない。
 
このブランクが2日になれば、再開への壁の厚さは二倍になるし、それ以上はもちろんそれ以上になる。いやむしろ、加速度的に厚みが増してしまうのかもしれない。
 
受験勉強の勉強量に似たものを感じる。
 
習慣という呪縛がなければ、あれだけ勉強しなきゃとかいう気分にもならなかったかもしれない。
 
 
 
今日の私は、まずは姿勢を正すことから始めよう。穏やかな表情を作ることから始めよう。優しい音楽を聞き、静かに眠ることから始めよう。心の平静を保てない時なら、形から入るのも悪くない。
 
時に「形だけで何ができるんだ」と責められることはあるけれど、こういう時だけは、正真正銘形から入ってもいいんじゃないかと思う。
 
自分で自分の機嫌を取れる人が本物の大人だと言うのなら、今日の私は、存分に自分のご機嫌を取らせていただく。
 
悪いことじゃないと言い聞かせているのではなくて、これは本当に、必要なことだと思うから。
 
毎日正しく生きることは、本当に大切。