閑話休題
今しがた気づいたことだけれど、目上の人や年上の人の話は、異論があっても確かに、たしかにと頷いてしまうことが多い。
萎縮しているとかいうことではなくて、その場でむやみに反論するほど自分の実力に自信がないし、ここでキャンキャン反論しても相手にされないだろうという諦めもある。あとは、火に油を注いでその話を伸ばすこともあまり得策ではないような気がしたり。
良くない癖だなと思う。
人との会話で諦めから入るのは、相手の話に真摯な対応をしていなことにもなるような気がする。思えば両親やそれ以外の人が怒っているのを聞く時も、話を聞いて自分なりに反省してはいるものの、静かに時間を過ごしてしまうことが多い。
大人や目上の人、というよりも、人と話すのが怖いと思っているのかもしれない。コワイヨ~
普段一緒に暮らしていない分、両親の夫婦喧嘩を間近で見ることもない。
今日は久しぶりにその様子を生で見て、それは違うんじゃないの、とか、そこまで言わなくても、とか、いろいろ思うところはあった。けれど静かにやり過ごすことにした。
私の関係するところではないし、ここで話に首を突っ込んでもいいことないかあ、とかいうのが率直なところ。
一方でそう考える自分を遠くから眺めていると、なんて薄情な娘だこと、と思うのもある。今の関係を良好にしておきたいというきもちと、反論するべきなのではという気持ちが拮抗する。
人との関係は、湖に張る薄い氷みたいだと思う。
怒っている人に対してむやみに反論することがいいとは思わないけれど、少なくとも、「感情のピークをなんとかやり過ごそう」と思うことはやめてしまおうと思った。
真摯なきもちは大事。
人のエモーションをただ観察するのではなくて、ちゃんと関わる意思を持とう。相手との関係で今をとるか今後をとるかではなくて。