思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

思えば尊し

昨日の夜20時過ぎ、帰りの電車でぼうっと座っていると、最寄駅まであと2駅のところで上品なケーキを持った男性が乗ってきた。

もちろんケーキをお皿ごと持っているというわけではなくて、有名なケーキやさんの上品な箱を、綺麗な袋に入れて持っていた。

彼は電車に乗ると、急いでいる風でもなさそうに、偶然空いていた向かいの席に座った。もちろんその隣には、彼の恋人らしい女性が座った。

電車の中でこそこそ話す2人を見ていると、こちらが嬉しくなるような、爽やかさのある2人だった。話の内容はきっと他愛もないことなんだろうけど、他愛もないからこそ、こそこそ話すことに意味があるような気がする。

今朝早くに家を出ると、駅に向かう途中で、小さな花束を持った女性が歩いてきた。

特段派手な服を着ているわけではなかったけれど、上品なワンピースを着ていて、きっと特別な昨日を過ごしんたんだと思う。

彼女も私と同じように1人で歩いているわけだから、満面の笑みなんて浮かべているわけがない。

けれど向かいから歩いてくるのを私が見つけ、目が合い、通り過ぎて行くまでのわずか2秒ほど、彼女の顔色は非常に良くて、まるで満面の笑みを浮かべているかのような様子だった。

昨日の電車で見たカップルと、花束の女性と、私と。

全員が全く違う、けれど同じ時間軸上の時間を過ごしていた、ということが突然現実味を持って迫ってきて、今、日常の中にいながらにして非日常にいるような不思議さがある。

ただ全く違う時間を過ごしている人にも、その時間を持った人の数だけ幸せのあり方があるんだということもまた、現実味を帯びてくる。

目の前に現れたカップルの「目に見える幸せ」の形はたまたま綺麗なケーキの箱であって、上品な女性のそれは花束だった。

顕在化した幸せの形を立て続けに2つも見つけた私は、さて、私が持っているものは一体なんだろうと、バッグをちらっと開けてみる。

バッグの中には今日会った友達がくれたお土産がいくつも入っていて、「目に見える形はこれだけど、『今日も本当に楽しかった』というこの実感だけで十分だったんだ」と、思い出す。