思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

備忘録

Instagram、めちゃめちゃ精神に悪い説を提唱している。

華やかな日常、楽しげな笑顔、綺麗な食事と丁寧な暮らし、どれも今日の自分が持っていないものばかりで、嫉妬というより諦めのような気持ちが湧いてくる。

とはいえ仲のいい人たちの楽しい様子を見るのはその瞬間を共有している感じがして楽しいのだけれど、少し疎遠になった人のそういう姿を見ると急に寂しい気分になる。

自分も楽しいことがあれば人並みに更新するけれど、投稿する「楽しさ」のハードルが異様に高いような気もする。

何人もの友達が行っていたあのお店、あの旅行先、行ったら行ったで楽しいのかもしれない。

自分が人と同じことをしていない時感じる一抹の不安は、感じたくないと思っているのにどうしても感じてしまうもののひとつだ。

やりたくない、やってはいけないと思っているのに、不本意ながら身体が(気持ちの上で?)勝手に動いてしまう。やらなきゃいけないことをしていない時の情けなさとはまた違うけれど、どちらかというと「やりたくないことをやっている」ときの背徳感の方が凄まじい。

自分に対する裏切りと、自分と悪いことをしている協働の違いなのかもしれない。

些細な瞬間でも「ああ今、私はこの人に依存しているな」と思うことがあったり、「私はこれがないと生きていけないな」と思うことがあったりする。依存というのもまた、やりたくなくてもやってしまうことのひとつだと思う。

その一方で、アルコール依存症とかなんとか依存症とか色々、「依存症」と名のつくものはたくさんあるけれど、人間誰しも何かしらに依存して生活しているわけで。

それがなくては生きていけないもののひとつやふたつがあったところで、たいした問題ではないような気がしたりもする。

考えの裏切りそのものの方が、ものに依存するとかいう裏切りよりも「やってしまった」という感じがすると思ったり。罪悪感の基準は、結局のところ自分との信頼関係にあるんだなという備忘録。