思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

自由研究

ひとつの話を心底丁寧に書いていても、なんだか文字数を稼ぐための装飾に満ち満ちているので、次第に自分のことが信用できなくなってきた。
 
最近思ったことを箇条書きで書いたら、本当に考えた量が分かりそうだ、と思ったので、今日はそうすることにした。
 
決して、手抜きなんかじゃあないよ。明日はまた違うかもしれないけど、いいじゃない、だってこれは自由研究なんだから。
 
 
 
・病院に行った日の夜だけ、健康に気を遣って買い物してしまう現象に名前をつけたい。鉄分足りてないな、とか、カルシウムが必要だな、とか、どう考えても今日1日では解決できそうにない栄養バランスを、その日の夜でやりくりしようとする。
 
1ついくらもするアボカドを見て、今日みたいな日だけは「まあ健康のためならいいかあ」と思ってしまう。アボカドは1つ100円以下じゃないと買わない不文律があったはずなのに、病院の免罪符で以って破られた。
 
 
・人の話を聞いているまさにその時はきちんと内容を理解していたのに、じゃあその段取りに移った途端「あれ、今の私これしていいんだっけ?」と不安になることがある。本当に、よくある。私の集中力のなさと、相手の話す速さと、気が動転している状況と、三者が揃った時初めて起こるミラクル不一致だと思った。
 
「私は今、ここで待ってていいんですか?」と聞いた時の、看護師さんの「話聞いてなかったのかよ」みたいな顔は、なかなかグサッとくるものがあった。優しくしてよ〜
 
 
・何気なくテレビを付けてしまうお風呂上がり、深夜番組のエンディングソングがすごく良くても、眠気と戦う頭ではその魅力を全て覚えきれない。なんとか思い出して動画を1から全て見てみると、記憶の中にある歌の素晴らしさとはあまりにかけ離れていて、「それなら忘れたままでいた方が幸せだった」と思ったり。
 
みんなで笑った内輪ネタも、あれは楽しかったなあ、面白かったなあとぼんやり輪郭を持たず思い浮かべるくらいが一番心地よいのかもしれない。全ての記憶が鮮明になってしまったら、雰囲気に酔っていた自分に興ざめしそうで怖い。
 
 
・今までものすごくお世話になった人たちと、これからヨロシクやっていく人たち、両方から同じ日程を打診されたら、私はまだ前者にすがってしまうことがわかった。
 
これから何度も会う人とは、きっと本当に、これから何度も会うことになるわけだから、最初の1回を逃してもまだチャンスがあると甘えているのかもしれない。振り返ってみると、最初の1歩を失敗したが故にコミュニティに馴染めなかった経験が何度もあるはずなのになあと思ったり、思わなかったり。
 
大人になった自分の、力の差が発揮できればな。
 
 
・全く別の誰かになりたい、と思うことが増えた。今の顔見知りが全くいなくなった時、私はどう自分をつくり直すんだろう?
 
嫌でもヨソ様の視線が気になる自分はいかにも小さいけれど、大人が子どもに向けて語る「自分がどうしたいか、それが重要だ」みたいな言葉は実際、十中八九信じられないと思っている。自分だけで世界が完結するのなら、きっとその人はまだ未熟なんだと思う。
 
2019年はアバター元年と言われているらしい。あまりにカワイイ虚像はいらないから、都内勤務の27歳独身OLとかその程度の、リアルとバーチャルの境目に足を踏み入れてみたい。
 
私は一体誰なのかしら?という問いの答えは、きっと一生、わからないままなんだろうと思う。