思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

約束ごと

毎日このブログを更新しようと思い立ってから、早くも61日が経ったらしい。
 
最初は「こんなの、いつまで続くのかしら」と思っていたけれど、やってみると案外続いているみたいだ。
 
その内容は、まあ、さておき。
 
 
 
前にも言ったような気がするけれど、「今日は時間がないからこんなものでいいか」と思って公開してしまう日がなんどもあったし、「今日はもうしなくてもいいかな〜」と怠慢になりながら、結局惰性で書いたものもある。
 
それは他人が見てもわかるだろうし、自分で見てもダサいなと思うことがある。この程度のもので公開するならしないほうがマシだったんじゃないの?と思うものが、数え切れないほど公開されている。
 
とはいえその時は、自分との約束を守ることに必死だったわけだけれど。
 
こんな程度のものでも、たった2ヶ月間だけだけれど、「自分との約束を守る」ことがどれだけ自分のためになっているのかと感じることは多々ある。
 
 
 
これまでも、「今日から毎日日付が変わるまでに寝る!」とか、「毎日2時間、TOEICのために勉強する!」とか、本当にできるのかわからないような約束を、何度も私としてきた。
 
そしてその結果はといえば、まあ散々なものだった。
 
自分との約束を破るたびに、凄まじい惨めさが全身を駆け巡る。
 
自分を裏切った罪悪感ほど気分の悪いものはない。誰のことも傷つけないからこそ、振りかぶった刃は全てこちらに向いてくる。誰にも気づかれないから、これを吐露する相手もなかなかいない。自分ダメだな〜〜、終わり!って感じ。
 
こんな風だからこそ、小さなことでもいいから、毎日少しずつでも、自分を褒めるきっかけが欲しくなってしまう。
 
あなたもすごいけど、私もすごいのよ、と言えるようになりたい。
 
朝起きたらすぐにカーテンを開けるとか、必ず水を飲むとか、その程度でいい。
 
その難易度を少しずつあげられたらそれはそれで素晴らしいことだけれど、その程度の調整も難しいので、小さなことを毎日積み重ねるだけでも十分だと思う。
 
それが私の場合は毎日ブログを更新しよう、という、自分との約束だったのかもしれない。
 
 
 
お約束は守りましょう、と小さな頃から教え込まれるけれど、これは友達との約束を守ることに限った教育だなあと思う。
 
確かに友達との約束を守ることは人として大前提だと思うけれど、それができなければもう社会活動は諦めた方がいいのでは、というレベルのような気がする。
 
ある程度人間として、外界と真っ当に関わることができるようになったのであれば、その先にある自分との約束の守り方も教育されるべきなんじゃないのかしら。
 
とはいえ、自分と自分の関わり方なんて、他人から教育される術もないのかもしれないけれど。