思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

一眼レフ

今日、お仕事の様子をカメラで撮影する機会があった。
 
せいぜいiPhoneのカメラくらいしか使わない私にとって、一眼レフの重厚感は非日常的で、腕に感じるその重みからは、カメラとレンズの高価な価値を想像させられる。
 
落とさないように、モニターに傷がつかないようにとなんとか工夫していたのだけれど、私は私で他にやることがあったために、途中からその扱いがないがしろになっている瞬間も多々あった。
 
ひとのものなのでできる限り大切に扱ったと思うけれど、もし何かあったら本当に申し訳ない。一眼レフの高価さと、レンズの繊細さは素人目にもよくわかる。
 
かく言う私もずっと前に一眼レフで写真を撮っていたことがあるけれど、旅行の旅に持ち歩くのが重たくて、一緒に出かけるのが億劫になった結果、いつのまにかオークションに出してしまっていた。当時は1万いくらかで売れて、生活費の足しになったはずだ。
 
そんな中の今日、久しぶりに一眼レフに触れたわけだ。こんな素敵なカメラがあれば、私なら綺麗な景色だけじゃ飽き足らず、日常の景色や街ゆく人の顔も撮りたくなってしまいそうだと思った。
 
 
 
今日はただお仕事の様子をいくつか記録していただけだったが、見慣れた風景のはずなのに、一つレンズを通すだけで全く別の世界に見えるのが不思議だった。
 
あまりに素敵な陽当たりに見えるので、「この部屋ってこんなに明るかったんだ〜」とか、「この人、こんな笑い方だったのか〜」とか、新しい発見をいくつもすることができた。特に、身近な人の知らない顔を撮れた時が、なにより達成感のある瞬間だった。
 
きっと個人の好みなんだと思うけれど、立派なカメラでとった写真では、みんな笑顔が晴れていると思った。
 
 
 
私が見知らぬ誰かに売ってしまったあのカメラでも、特別な景色だけじゃなく日常を記録するための機会があったなら、その使い道はもっと違うものになっていたんじゃないかと思う。誰かの何気ない様子を記録して、その笑顔や真剣な表情を見せてみたらどんな顔をするんだろう。
 
照れて笑う人がたくさんいそうだけれど、中には怒る人もいると思う。自分でも撮ってみたいとカメラをひったくる人もいるだろうし、もっとよく撮って欲しいと要求してくる人もいると思う。自分が写る写真を眺める感覚は、あまり嫌いじゃない(もちろん写りの良いものに限るけれど)。
 
 
 
私は、写真を撮られるのが嫌になるほど写りが悪いので、せめて大切な友達の写真くらい、綺麗に残せるようになりたいと思った。一眼レフには例の挫折経験があるので、まずは手頃なiPhoneからでも、少しずつ。