思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

大きな看板

Netflixには、あいのり以外の恋愛リアリティショーも公開されている。
 
今日見たのは"REA(L)OVE"という番組なのだけれど、登場人物の経歴がまあ味付けの濃いこと、濃いこと。この番組、最初はごく普通の男女が登場するのだが、彼らは全て過去の傷(というか隠したい過去?)を隠している人々。
 
運命の相手をたった二泊三日で見つけようとする傍ら、彼らの隠したい過去は次々に公開されていくのだけれど、恋愛に発展しそうな男女に対して「この過去を踏まえても、この人を好きでいられますか?」と問うわけだ。
 
借金とか、不倫とか、そういう良しとされない過去を順番に告白していく出演者たちはさることながら、それを受け止める周りの反応がいちいち人間らしくて面白い。
 
他人の不幸はなんとやら、という言葉もあるけれど、それ以上に、パーソナリティのロンドンブーツ淳と矢口真里のコメントが異様に的確で笑える。出演者のヘビーな過去をポップな笑いに変えられる技量には、ずっと感心しっぱなしだった。
 
 
 
この番組の9割以上をヘラヘラ笑って見ていたのだが、割合序盤のうちにだけ、「こういう人は、経歴に関係なくどこにでもいるな」と思うシーンがあった。
 
肩書きのない人が、肩書きのある人たちを妬んで貶めるような発言を連発する場面だ。
 
持たざる者にとって、持つもののそれは異様に大きく見える。
 
 
 
私の友達にも、〇〇大学以上の学歴じゃないと受け付けない、とか、〇〇社の人と結婚したい、とか言う人は何人かいた気がする。若さを売りにお金を稼げる女性たちの戯言なので、彼女たちが今何を思っているかはわからない。けれどお相手からその肩書きがなくなった時、彼女たちの元に残るのは一体どんな価値なんだろう?
 
他者や環境によって決まる人の価値は、自身に蓄積されるナレッジでない限り、その場所でしか真価を発揮しないと思う。
 
人の言動や立場に左右されるブランディングは、本当に自分のためになるのかしらん?それってきっと、「バカな女がモテる」とか言う戯言に近いものだと思う。
 
他人を気持ちよく語らせるためのアホチャンにはなりたくないね。
 
それが社会の潤滑油になるのであれば、意味はあると思うけれど。
 
 
 
一年くらい前、南場智子さんの話を間近で聴ける機会があった。「個人で戦える実力を身につけなさい」と言われた。会社の名前や能書きで語られる個性は、もはや終わりが近いと。
 
"偉い"人がよく話す話題ではあるけれど、この話を聞いていると、「就活生」というレッテルももはや肩書きの一つなのかもしれないと思う。高校生、中学生も然り。
 
一体私は、どんな肩書きの中で生きているんだろう?
 
 
 
番組の中で反感を買った肩書きのない男性の気持ちはよくわかる。けれどあなたにもきっとなんらかの肩書きがあるはずよ、と教えてあげたい。大きな看板を背負っていきたいのならアナタ、夢がないのに東京で暮らそうなんて、思わない方が良かったのでは?
 
世の中どこを見上げても、上には上がいるからね。
 
自分のことは棚に上げて、他人を批評する私もワタシだなあと、反省する気持ちは、フツフツと。